野尻抱介blog

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沖縄で出会ったクレージーなイキモノ屋と『琉球列島のススメ』


 2014年11月末、初めて沖縄を旅した。宜野湾市にお住いの鴨澤眞夫さんがMaker向けホームパーティーをするというので、長年こじらせていた"沖縄童貞"の筆下ろしをしてみたのだった。短い旅だったが沖縄は見るものすべて珍しく、大変面白かった。簡単に紹介しよう。

 那覇空港売店で買った弁当類が、すでに珍しかった。四角いおにぎり。タコスみたいなテックス・メックスなやつ。

 コザ、嘉手納基地に通じる繁華街で開かれていた「ゲート2フェスタ」。盆踊りでもヨサコイでもない、音楽もダンスもポップなものだった。

 嘉手納町の屋良グスク。市街地にある小さな城跡なのだが、12月にもかかわらず、緑の濃さがはんぱない。水木しげるの世界だ。

 勝連半島から橋で結ばれた伊計島のサトウキビ畑。風が吹くと、歌のとおり、ざわわ、ざわわと鳴いた。
 灯台の根元にはアサギマダラがいた。三重県でも見かける、渡りをする蝶だ。「ここからはるばる飛んでくるのか」と感慨に浸ったりした。

 勝連半島の先端、ホワイトビーチ沖に現れた海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦。他所者の勝手な感想だが、沖縄は軍事施設や戦争遺構も見どころが多い。道の駅かでなも嘉手納基地が一望できて素晴らしかった。

 恩納村の海岸。珊瑚礁のかけらが敷きつめられている。

 海岸の墓地。亀甲墓といわれるものだ。沖縄戦のとき、米軍がトーチカと間違えて砲撃したこともあるという。

 鴨澤家に向かう途中の景色。小規模な丘陵地で、こういう地形も私には珍しい。「あー、沖縄戦ってこんな地形で激戦してたよな。シュガーローフとか、あのへんの…」などとぼんやり考えていたが、後で聞いたら実際に激戦地だったらしい。
 この地形やガマと呼ばれる洞窟、亀甲墓にも、この地域の石灰岩質が関係している。



 夕方、鴨澤家に着くと、庭にあるお手製の石窯に火が入っていた。ここでピザやチキンが次々と焼きあげられた。参加者が持ち寄った回路基板など眺めながら、Maker談義に興じた。
 夜遅くになって、30代くらいの短髪で口ひげをたくわえた男が現れた。鴨澤氏の後輩で、生き物屋だという。歯に衣着せぬ物言いをする、なかなか尖った人物だった。
 彼が携えてきた作品は、蟹の腕の模型だった。写真を撮り忘れたのだが、民芸玩具の竹ヘビみたいなものだ。サランラップの芯みたいな紙筒を切って針金を通して連結し、関節にしてある。
「哺乳類は内骨格で、骨のまわりに筋肉がついている。だから関節はボールジョイントになっていて、自由に回せる。ところが甲殻類は外骨格だから、関節が回る軸は基本的にひとつしかない。そのかわり複数の関節で軸の向きが違っているから、組み合わせると自由な方向に動ける」
 記憶に頼っているのだが、だいたいこんな話で、模型はその再現というわけだった。
 なるほど。蟹の腕の自由度なんて考えたこともなかったから、まず着眼点に感じ入った。それを模型で示すところもMakerらしい。紙筒と針金しか使わないのは斬新だ。
「300円でできる」と彼は言った。金額はよく憶えていないがその程度だった。
 私も生物の骨格には興味があって、狩猟で捕獲した骨は標本にしたりする。(こちら参照)
「私、『骨の学校』って本が好きで、著者はええと、盛口…」
「ああ、ゲッチョさん?」
 この男はゲッチョさんこと盛口満氏とも懇意の仲だという。この時点で私は彼がどういう種類の人物か、つかめた気がした。面と向かっては言わないが、生物学者という肩書きでは不足なので、心の中ではこう呼んでいる。
 フィールド系クレージー生き物屋
 生物好きにもいろいろある。私は狩猟をしているので、それを指して「鳥や獣がかわいそう」などと言う人は苦手だ。船でホエールウォッチングして嬌声を上げたり、探鳥会なる行列に加わって静かに双眼鏡を使う人たちともちょっと距離を置きたい。
 私が敬意を抱くのは、昆虫以上に植物に詳しい虫屋、みたいな種族である。山でそういう人に会うと、どこに何が生えているか、(彼の秘密のスポットでない限り)たちどころに教えてくれる。
 さらに酷暑も風雨も毒蛇もいとわず深山幽谷を夜通し徘徊したり、悪臭を放つロードキルの死体を拾ってきて標本にするような活動が日常化しているレベルになると、これがフィールド系クレージー生き物屋という呼称になる。
 これは敬称である。私自身はこの域にはまったく届いていないが、猟師としては、こういう人のほうが安心して話せるし、なにより面白い。

 あの夜から一年あまり経って、彼がそのクレージーな人生を集大成したような本を出した、と鴨澤氏がツイートした。佐藤寛之『琉球列島のススメ――なんと、東海大学出版会の「フィールドの生物学」双書のひとつだ。このシリーズはハズレがない。少々お高いが、Amazonで購入して読んでみた。
 期待どおり、どこを開いてもめちゃくちゃに面白い。沖縄での学生生活が始まると、夜明け前から図鑑を抱えて魚市場に通い、漁船に乗って漁を手伝い、鮫の歯を集めたりするダイナミックさである。毒を持った生物に対しては、自らの体でその毒の効果を実験してみたりする。きわめて実践的な記述なので、こうしちゃいられない、自分も何かしなくては、と焦燥感にかられるほどだ。
(左:著者近影。撮影 鴨澤眞夫)

 紹介しているときりがないので目次を貼っておこう。

 第一章  沖縄生活のススメ 
 第二章  海モノのススメ
 第三章  毒モノ、キワモノ体験のススメ
 第四章  陸モノのススメ 
 第五章  琉球列島の春夏秋冬 
 第六章  離島のススメ
 第七章  野外調査のススメ
 第八章  環境教育のススメ
 第九章  珊瑚舎スコーレ
 第十章  泡瀬干潟で環境教育 
 第十一章 教材作りのススメ
 第十二章 生涯学習のススメ

 カメ類を研究したくて琉球大学に入り、スッポンの研究で博士号を取得し、よるべなきポスドク生活から環境教育に転身する。私が佐藤氏に会ったのは十一章のあたりだろうか。あの蟹の関節模型は教材で、安く簡単に作れるところを強調していたのはそういうわけだったのだ。
 私がぶっきらぼうに話す佐藤氏に気安さを憶えたのは、本人に確かめたわけではないが、私の方でこんな想像をしたからだ。
 つまり、フィールド系クレージー生き物屋の価値基準、あるいは「正義の規範」みたいなものがあるとしたら、それはたぶん、環境に適応し、平衡状態にある生物そのものだろう。どんなに矮小な、あるいは貧相な生物であれ、現にこうして生き延びているからには、環境に適応するすべを持っていることは自明だ。したがってすべての生物は調べる価値があるし、学べることが必ず、絶対に、まちがいなく、ある――この確信を持っているかどうかで、生物に向き合う姿勢が決まる。生物を愛でることでは同じでも、特定の個体をペットとして可愛がる態度とは根本的に異なる。
 いっぽう、ここが一致していれば猟師と生物学者のちがいなど些細なものだ。そういう意識を持つ猟師は、個体の命を奪いはしても、地域個体群は保全しようとする。そして狩りの楽しみとは結局、相手を出し抜けるまで、その行動と生態を知ることだと思っている。
 …と思うのだが、どうだろう。なにしろクレージーな種族だから、向こうがどう考えているかはわからない。

 佐藤氏の活動は以下のリンクで観測できる。
沖縄生物倶楽部
やんばるの森から
キュリオス沖縄
 琉球諸島に住んでいたり、そこを訪れる人は、コンタクトを取ってみてはいかがだろうか。かなりクレージーな人物ではあるが、人を襲ったりはしないと思う。