野尻抱介blog

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可搬式カフェ『かはんちゃん』を背負って旅に出た


 けものフレンズ3話『こうざん』が好きだ。このエピソードは私が思うユートピア、人類と機械が共生する理想的なポスト・シンギュラリティ世界をよく描いている。
 ジャパリパークは「ジャパリまん」というベーシックインカムが支給され、誰でも遊んで暮らせる世界である。パークの維持に必要な労働はロボットがしてくれる。知識は図書館に集約され、誰でも無料で利用できる。
 そんな楽園にもかかわらず、自主的に仕事をするフレンズがいる。
 2話ではジャガーが川で渡しをやり、5話ではアメリカビーバーとプレーリードッグが家を建てていた。
 そしてこの3話ではアルパカ・スリがカフェを営んでいる。
「ここって隣の地方に行くときよく通るじゃない? このあたりで一休みできたらとても素敵だなって。で、ある日、隣の山にこの小屋を見つけたんだ。そういうところでお茶を出すとカフェになるって聞いて、図書館で作り方を教えてもらったの
 こんな動機でアルパカはスタートアップした。仕事とは嫌々するものではない。自分のやりたいこと、向いていることで社会に貢献して、やりがいや生きがいを得られる。これでこそユートピアである。
 
 3話の終盤、一同が紅茶を飲むシーンは幸福感に満ちていて、こちらまで気持ちが伝染してくるようだ。
 過去のエントリーを読めばわかるとおり、私はアニメの紅茶シーンが好きで、去年はガールズ&パンツァーにおける紅茶の再現に熱中していた。けものフレンズ3話のここは、近年のアニメで屈指の紅茶シーンである。
 そんなわけで私は、
「人生に紅茶は必要だ。うちでもテラスで紅茶を飲もう。しかしお盆で茶器を運ぶと両手がふさがるのでドアの開閉ができない。片手で運べる岡持ちを作ろう」と思い立った。

 宅配ボックスの余った材料があったので、正味2時間ほどでこの岡持ちを完成させた。トップがテーブル代わりになるので、折りたたみ椅子の横に置いてもいい。
 人に寄り添うこのフォルム、どことなくラッキービーストみたいではないか?

 この岡持ちを作ったのは6月上旬だが、その頃、『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』という本を読んでいた。これもユートピアへの道を説いている。
 "ベーシックインカムを導入したら誰も働かなくなる、という考えは誤りである。多くの実験で、人々はさらに勤勉になるという結果が出ている"――なんて論説には大いに首肯するのだが、反証があるかどうか不明なので、いまのところ話半分ぐらいに思っている。
 この本はGDPが生活の質を反映しないことにも触れている。デジカメは写真店やフィルム産業を駆逐してGDPを下げた。インターネットもGDPを下げた。だが生活の質、QOLは向上している。
「なるほど、GDPよりQOLか。なら私は紅茶とともにある生き方を、さらに追求してみよう」
 と思い、次なる工作の構想にとりかかった。

 扉のない岡持ちでは屋内から庭先まで、ごく短い距離の輸送にしか使えない。もっと長距離を旅して、海や山でも紅茶が飲めるようにしたい。
 アウトドア用の茶器はすでに市販されているが、私が思い描くのは、聖グロリアーナの戦車やジャパリカフェのように、家で使う茶器をそのまま持ち出すスタイルだ。普段使いの茶器を運んでこそ日常性が保存され、エクストリーム・カフェになるのである。
 そのためには(1)ガラスや陶器でも安全に運べる梱包 (2)水を沸騰させる器具 (3)テーブル (4)椅子 (5)装備一式をまとめるバックパック ――が要件となる。
 すなわち可搬式カフェ『かはんちゃん』である。

 最初のラフスケッチはこんなものだ。蟲師バックパックみたいな箱の蓋が開いてテーブルになる。内部は区割りされていて、陶器を壊さずに運べるように梱包材を工夫する。
 細部が固まらないまま、さくさく工作して下のようなプロトタイプができあがった。なお、緑の椅子はヘリノックスのチェアワンという製品だ。畳むとかはんちゃんの本体内部に収納できる。




 使っていない軍用ザックのストラップを取り付け、問題なく背負えることを確認した。
 テーブルではノートPCや手帳を使ってみたが、すぐ作業に集中して、新装備をテストしていることを忘れてしまった。
 アウトドア活動をしていて、風景は素晴らしいのだが、落ち着く場所がなくて、立ったままうろうろした経験がないだろうか? こんなとき椅子とテーブルの効果は絶大で、そこに根を下ろした感覚を持てる。




 

 
 着色ウレタンニスを塗って完成状態にした。デザインが固まったわけではないが、以後は使いながら改良していくことにする。
 内部はコンテナ区画ふたつとバラ積み区画ひとつから成っている。コンテナの内側にはフェルトを貼り、仕切りとゴム紐を取り付けて茶器を保持できるようにした。逆さにしても落下することはない。
 バラ積み区画にはひったくり防止ネットを取り付け、立てた状態で蓋を開いても中身がこぼれないようにした。写真の状態でスイス陸軍水筒(コンロと鍋を兼ねる)とチェアワンが入っており、収納スペースにはまだ余裕がある。

 7月のはじめ、私はかはんちゃんを背負って、亀山市にある関宿を歩いた。江戸時代の宿場町が1km以上にわたって景観保存されていて、私の好きな散歩道だ。
 歩きながらかはんちゃんの背負い心地を試したのだが、特に問題はなかった。腰と肩のあたりにパッドをつければ、さらに快適になるだろう。

 関宿の中程に「アールグレイ」という紅茶専門店がある。
 だいたいにおいて、紅茶専門店というのは女性ばかりいる上品な空間で、私のようなおじさんには敷居が高い。
 だが、紅茶専門店の紅茶はそのへんの喫茶店のそれより断然うまいし、茶葉も販売している。この日は茶葉を仕入れるために、勇気をふるって店に入ったのだった。
 すると、まだ席も決まらないうちから、マスターのご婦人に、「あら、その箱は何ですか?」と聞かれた。幸い、ほかに客はいなかった。
「ええと、これはどこでもお茶を飲めるようにする装備でして…」と私は答え、店内でかはんちゃんを展開してみせた。
 マスターは「あらあらあら、これはいいわねえ!」と面白がり、さらにこうたずねた。
「それ、どこに売ってたんですか?」
 ニコニコ技術部員にとって100万ドルの質問が来た。私は呼吸を整えて答えた。
「いえ、自分で作ったんです」
「作ったあああああ?!」
 さながらサーバルちゃんである。私は心でガッツポーズを取った。
 しばらくして、店のオーナーが現れた。マスターよりさらに年配のご婦人で、いい茶葉を求めて世界を旅しているという。そのオーナーもまったく同じ質問をくりかえし、
「作ったあああああ?!」
 と大受けしてくれたのだった。
 ニコニコ技術部員はだいたいウケを狙って作品を組み立てるものだが、今回はこれが誰かに受けるなど、まったく想定してなかった。それが意外な層にウケたので、私は大いに鼓舞された。
 私は店で亀山紅茶など買い込み、開発中のモーニングセットを試食したり、サービスでダージリンのファーストフラッシュを淹れてもらったりして楽しい午後をすごしたのだった。

 そして7月8日~9日、私はニコニコ技術部のイベント、NT金沢にかはんちゃんを背負って参加した。NT金沢をひとくちで説明するのは不可能なので、以下に貼った写真でおよその雰囲気をつかんでほしい。
















 私は会場の一角でかはんちゃんを展開した。すぐに人の輪ができて、にぎやかなお茶会になった。
 自分で持っていったカップは2セットだけだったが、チームラボの高須さんが持参した旅行用工夫茶(蓋碗)セットが便利で、これで4人の参加者をまかなえた(写真下)。お土産にもらった鉄観音茶も素晴らしかった。

 白いティーポットはUtah Teapot と言われる、3DCG黎明期にモデリングされたことで有名なものだ。元のメーカーはドイツのメリタ社だが、そこから分裂したFriesland社が現在もオリジナルのまま製造している。
 湯沸かしの熱源は、アウトドアではアルコールストーブを使うが、ここでは火を使えないのでトラベルヒーターを使った。ポットに取り付いている緑色の器具がそれだ。

 二日目も場所を変えながら、かはんちゃんでお茶会した。お名前を聞き忘れたが、聞香杯(お茶の香りをかぐための縦長の杯)や台湾の高山茶を持ってきた通もいて、さすがだった。
 こうした国際派のメンバーに誘われて、11月のMaker Faire Taipei にかはんちゃんを持っていくことを決めてしまった。ついこんなことになってしまうのも、人の輪とお茶の力、それを媒介したかはんちゃんの効果だと思う。

 金沢二日目の午前中は単独行動して、道ばたの公園でお茶したりした。もともと一人用に作ったものなので、ゆったりと自分だけの時間をすごせた。
 まあ、道行く人からはホームレスに見えたかもしれないが、お茶を飲んでくつろいでいると、そんなことは気にならなくなるものだ。


 金沢にはTea House Sakura という素敵な紅茶専門店があるので、かはんちゃんを背負って入ってみた。スリランカのフレーバー・ティーをたくさん揃えていて、完熟桃をどっさり使ったアイスティーが絶品だった。桃の下にあるお茶も桃のフレーバーティーで、これが実にうまく溶け合っている感じなのだ。
 それとともに、Tea Free というセットメニューがあって、カップにいろんな紅茶を注いでくれる。茶葉の選択は店の人まかせで、カップが空になると頃合いをみはからって別のお茶が注がれる。5種類くらいのお茶が楽しめる、嬉しいサービスだ。
 金沢は都会だけあって、店の人はかはんちゃんをスルーしてくれていたが、同じカウンターにいた女性から「あの、その箱なんですか?」と聞かれた。
 いつもどおり説明して「駅前でやってるイベントで披露してるんですが」と言うと、「もしかしてNT金沢ですか? 私もこれから行くんです」という、意外な返事だった。なお、店の人は「行商の人かと思ってました」と、このとき言った。
 13時からNT金沢のトークセッションに出るので、12時半頃に店を出て、その女性といっしょに歩いて会場に入った。

 トークセッションでも、私はかはんちゃんを展開して、左右にいる秋田先生、高須さんにお茶をサービスした。「何をやってるんだ、あいつは」という無言の視線がちょっと面白かった。

 金沢の二日間、大活躍したかはんちゃんだったが、どうしても顔見知りで集まりがちだった。こういう新陳代謝が大切なイベントで「古株がとぐろを巻いている」感じになるのはよろしくない。知らない人、年の離れた人がふらっと参加できる雰囲気作りをするにはどうするか、が課題として浮上した。
 たとえば……紐を引くと鐘が鳴ってメッセージが出る、みたいな仕掛けをつくっておいて、操作した人は否応なくお茶を飲まされる、というのはどうだろう?

 ニコニコ技術部の作品といえば電子技術を駆使したものが多いが、電気などで能動的に動くものを「アクティブ工作物」とするなら、椅子や机、宅配ボックスや岡持ち、かはんちゃんは「パッシブ工作物」である。
 パッシブ工作物は自分では動かない。かわりに人が動かす。視点を変えれば、
「人を動かす」のがパッシブ工作物の本分である。カマキリに寄生してその行動を支配し、自分を水辺に運ばせるハリガネムシのようで、これは電子技術とは別の妙味があると思う。
 かはんちゃんは私を利用して関宿と金沢を旅した。利用するだけでは人に嫌われ、放置されてしまうだろう。だからかはんちゃんは、代償として、何人かの人に憩いのひとときを提供したわけだった。

●2017年7月24日 追記
 トークセッションの動画を公開していただいたので以下にリンクする。