野尻抱介blog

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“パイン”こと海軍料亭小松に行ってきた


 日本海軍を描いた映画や小説で、海軍長官や政府高官が料亭で密談するシーンをよく見かける。拙『歌う潜水艦とピアピア動画』でもそんな場面を描いた。
 それは実際にあったことで、横須賀だと「パイン」と「フィッシュ」という符丁で呼ばれる店が有名だ。パインとは松のことで料亭小松、フィッシュは魚勝を指す。
 料亭小松は、太平洋戦争当時の建物がそのまま残っていて、現在も営業している。そのことはWikipediaで読んで知っていたが、実際に入ったことも見たこともなかった。
 過日、「いちど海軍料亭小松に行ってみたいものだなあ」とツイートしたところ「えっ、パインってまだあるの?」「パインか、俺も行きたい!」という人が現れた。鴨澤眞夫、松浦晋也、青山智樹という物書きばかりの顔ぶれである。

 公式サイトを見ると、一見さんお断りというわけではなく、政府高官や皇族や海上自衛隊佐官クラス以上、などという制約もないようだ。予約すれば誰でも行けるらしい。
歴代横須賀鎮守府長官が愛用された『長官部屋』でお食事をいかがですか!」とフレンドリーなメッセージまである。山本五十六や井上成美が使った座敷に入れるのだ。
 気になる料金は、昼なら5000円、夜なら8000円からコースがある。貧乏作家でも払える値段だ。
 三週間ぐらい前に電話を入れてみた。「11月上旬に長官部屋をお願いしたいのですが…」と伝えると、「はい、いつにいたしましょう?」という返答だった。長官部屋を確保するのは至難だと思っていたのだが、「○日以外ならいつでも空いてますよ」という。物書きは平日のほうが動きやすいので金曜日、1700スタートとした。
 料理は8000円コースにして、酒代など諸々込みで13000円ぐらいになるという。建物や歴代提督の書なども見たいというと「掛け軸を出しておきます」とのことだった。

 当日は昼頃横須賀に着き、例によって軍港めぐりの遊覧船に乗り、そこで会った鴨澤氏とどぶ板通りで食べ歩きしてホテルにチェックイン。
 明るいうちに外観を撮影しておこうと思い、15分くらい前に小松に到着した。横須賀中央から徒歩10分ぐらいの場所で、マンションや家電量販店などが建ち並ぶ中に埋もれるように、木造の大きな建物があった。

 玄関に入って名前を告げると、待合室に通された。
 これがもう、小さな博物館のようで、海軍と海上自衛隊に関する記念品がぎっしり並んでいる。特に海自の練習航海にまつわるものが目立った。
 部屋には先に青山氏と有馬桓次郎氏――松浦氏が来られなくなったので、急遽お声掛けした――がみえていた。全員「ここだけでお腹いっぱい」状態である。現在でも、この部屋で会議をしてから座敷で会食、という使われ方があると聞いた。

 次に通されたのは掛け軸を飾った部屋。現在の女将の父にあたる人が丁寧に解説してくれた。
 上にあるのが岡田啓介の額。
 掛け軸は右から東郷平八郎、上村彦之丞、鈴木貫太郎、米内光政、山本五十六。いずれも「小松の女将に」と揮毫したものだ。

 山本五十六が小者に見えてくるぐらいの顔ぶれだ。五十六は「長陵」という号を使っている。印に実名が見られる。

 そしていよいよ長官部屋に案内される。

 テーブルがゆったり2卓、8人まで無理なく入れるスペースだ。写真(中央)の書は米内光政、右は誰のものかわからない。ネットで調べたところでは長谷川清ではないか、とのこと。

 長官部屋は新館一階の、最も東側にある。新館といっても昭和9年に建てられたものだから、かつての長官たちが通った部屋そのものである。友鶴事件があった年で、第四艦隊事件の前年だから、軍艦のハードウェア設計がまだ成熟してなかった頃だ。
 障子を開けると縁側があって小さな庭がある。その先は岩壁のようなもので目隠しされているが、かつては 米が浜の海岸だった。軍艦が沖に現れて搭載艇をおろし、ビーチングしてダイナミック入店した提督もいたという。
 そんな話を女将が聞かせてくれた。素っ気なくあしらわれるとばかり思っていたので、ありがたく聞き入った。

 料理は会席フルコースである。

(1)先付 いくら、銀杏など (2)椀物 白子の吸い物  日本酒は「沢の鶴」のみ。


(3)向付 刺身       (4)鉢魚 さわらの西京焼き (5)強肴 蕪、玉子などの煮物




(6)油物 てんぷら     (7)止め肴 アボカドなどの和え物 (8)食事 蕎麦

(9)水菓子 キーウィほか

 いずれも大変美味であった。


 食事が終わって一同満悦の図。様子を見計らって仲居さんが「他の部屋もご覧になりますか?」と案内してくれた。
 これまでもそうだったが、場所を移動するときは外に待機していた仲居さんが絶妙のタイミングでキューを出してくれる。日本のおもてなしってすごいなあ、と改めて感じ入ったものだ。

 長官部屋よりずっと小さい、二人でしっぽり炬燵に入って差し向かいになれる部屋。
 なお、小松の部屋はすべて掘り炬燵になっている。昔はあんかの火の管理が大変だったそうだ。

 どの部屋にも偉い人の書がある。
 左は山本五十六、右は小泉純一郎

 廊下の天井は高い。柱には銘木がふんだんに使われている。階段の手すりは大理石。


 上は二階の大広間。二間続きになっていて、廊下部分の畳を含めると160畳になる。ここで忘年会などやってみたいものだ。艦これの即売会をやったらどうだろう、とも思ったが、大勢が出入りするのはさすがに無理だろう。

 お腹も胸もいっぱいになって屋敷を出る一同。この玄関は大正末期に建てられた部分で、建築途中に関東大震災があった。
 明治18年に開業した初代小松はここより少し内陸の田戸海岸にあった。海岸が埋め立てられて眺めが悪くなったので、後退した海を追うように米が浜に移転したのが現在の建物になる。
 海軍料亭小松はまさに生きた文化財である。予約すれば誰でも入れて、観て、食べられる文化財なのだった。

追記: 同行者のレポート
 海軍料亭小松のこと - はてなの鴨澤
 海軍料亭小松・訪問 - はてなの鴨澤