野尻抱介blog

尻Pこと野尻抱介のblogです

ダージリン様の紅茶の完全再現、またはイギリス戦車の可能性について

「どんな走りをしようとも、我が校の戦車は一滴たりとも紅茶をこぼしたりしないわ」
 ――と、ダージリン様はのたまい、戦車内で優雅に紅茶を飲むのだが、これはエスニック・ジョークのひとつだろうか?
 ガルパンに限らず、艦これの金剛も「ティータイムは大切ネー」と言うし、アニメ「名探偵ホームズ」のモリアーティ教授も頑固にティータイムの習慣を守っていた。

「イギリスの戦車は車内で紅茶が淹れられるんだってな」
 これは日本のアニメに限らず、内外ミリタリー・ファンの間でも定期的に話題になることだ。ずっと判断を保留してきたが、今回調べてみると、事実だとわかった。
 WW2が終ってまもなく、センチュリオン戦車の砲塔内に給湯器が設置されたのが始まりだ。
 これにはきっかけがあった。ノルマンディ作戦で上陸したイギリスの機甲部隊が、ある朝、車外でモーニング・ティーをしていたところ、ドイツ軍のミハエル・ヴィットマンに襲撃されてボコボコにやられた。部隊は30輛近い戦闘車両を失って壊滅状態になったのだった。(ヴィレル・ボカージュの戦いThe British Perfected the Art of Brewing Tea Inside an Armored Vehicle )
 これを教訓として、イギリスの戦闘車両は車内で紅茶を淹れられるように改修された。紅茶を我慢するという選択枝はなかったらしい。「日本海軍の海水風呂と同じようなものだ」と評する記事もあった。
 この伝統は現在も続いていて、給湯装置をHWR(Heaters Water and Ration)、または Boiling Vessel, BV と呼ぶ。
 ebayで検索してみると、RAK15というモデルの中古品が出回っていた。同名で2タイプあるようだが、私はトップが黒いタイプを購入してみた。送料込みで2万円弱だった。


 詳細なオペレーションマニュアル(PDF)がネット公開されているので、動作させるのはたやすかった。電源はDC24Vで15A、ハイエンドPCぐらいだ。とりあえず超乗合馬車用のバッテリーを2個直列にして通電してみた。電源コネクターは合うものがなかったので中の基板に直結した。
 高温モードで83℃、低温モードで65℃の湯が作れた。湯は右下の黒いハンドルを引くと、ちょろちょろ出てくる。このハンドルは少々使いにくいが、何かがぶつかっても湯が出ることはまずない。パネルのトグルスイッチにもフィンガーガードがついていて、不用意に動かないようにできている。MILスペックというやつだ。内部もきれいにモジュール化されていてメンテナンスしやすく、故障原因探索のフローチャートマニュアルに掲載されている。「ユーザーが分解できないものは所有したことにならない」とMakerの権利章典にあるが、軍用品はこういうところが嬉しい。

 それにしても、紅茶で83℃は低すぎる気がするが、どうだろうか? 仕様では88℃になっているから、調整すべきかもしれない。
 仕様通りとしても温度が低めなのは、たぶん安全のためと、狭い戦車内で沸騰させたら水蒸気が結露したりして厄介だからだろう。
 一般に紅茶を淹れる湯の適温は95℃~100℃くらいとされている。しかしこの装置は紅茶に関して妥協しない態度から生まれたのだから、88℃は許容範囲なのだろうか。紅茶通の皆さんの意見を聞きたいところだ。

 ともかく紅茶を試してみよう。
 ポットに湯だけを入れて暖めてからセイロン・オレンジペコの茶葉を入れ、改めて湯を注いだ。
 待つことしばし。案ずることはない、熱々のお茶ができた。香りも良い。
 諸君、これがダージリン様が戦車で飲んでいる紅茶だ。
 
彼女のティーカップはもっと高級そうだが、それは今後の課題としよう。私のはベーカー街の土産物屋で買った安物だ。

 HWR(Heaters Water and Ration)という名のとおり、この装置は湯を沸かすだけでなく、糧食を暖めることにも使われる。むしろこちらが本領かもしれない。現代戦車はNBC戦で何日も外に出られない状況が想定されるから、車内で食事を取れることが要請されるわけだ。

 左の写真の通り、RAK15は容器内にぴったりはまる内鍋が付属している。これでレトルト食品を湯煎したり、シチュー類を暖めたりできる。
 MREの代りにコンビニのレトルトカレーとパック御飯を入れてみた。カレーは温めるだけでいいが、御飯はでんぷんの糊化という相転移が必要だから、うまくいくかどうか心配だった。だがこれも案ずることはなく、30分ほどでほかほかのカレー&ライスができた。なかなか優秀だ。
 ここで改めて、この装置を使うことの意義を強調しておきたい。
 RAK15 HWRはまぎれもなく、本物のイギリス戦車の一部である。
 RAK15 HWRでできたことは、イギリス戦車でもできる。
 よって
次のことが証明されたことになる。
 イギリス戦車は車内でレトルトのカレーライスが作れる。

 もっと本格的な調理はどうだろう? 『提督の食卓SPECIAL【特集】艦娘たちのカレー改』から重巡愛宕のレシピ「ハムと野菜のカレー煮」を作ってみた。
 このレシピを選んだのは、煮るだけでできるからだ。しかし内鍋の温度は70℃くらいにしかならず、煮立てることができない。じわじわと低温調理する形になって、2時間ほどかかった。空腹をこらえて待つことになったが、ともかくおいしく食べられるものにはなった。これで次のことが証明できた。
 イギリス戦車は車内で重巡愛宕のハムと野菜のカレー煮が作れる。

 どんどんいこう。イギリス人はビーフイーターと呼ばれるほど牛肉好きだから、ローストビーフを食べたくなることもあるだろう。
 生の牛肉の塊に塩・胡椒して薄いポリ袋に入れ、低温モードでゆっくり加熱してみた。この場合、内鍋は65℃になるので、いわゆる低温調理(真空調理)に近い。
 2時間後、取りだしてみると、芯まで火の通ったローストビーフができていた。ちょっと火が通りすぎたので、1時間程度でよかったかもしれない。
 イギリス戦車は車内でローストビーフが作れる。
 ただしこれは現地で生肉が入手できた場合だ。映画「ブラックホーク・ダウン」でヘリから牛を狩る場面があったから、そういうシチュエーションもあるかもしれない。

 肉といっしょにじゃがいもも漬けてみたのだが、まだ固かったので、高温モードにしてさらに2時間ほど漬けてみた。
 出してみると、ほくほくに茹だっていた。
 イギリス戦車は車内でじゃがバターが作れる。
 これで生の炭水化物もいけることがわかった。ドイツに侵攻すれば、じゃがいも畑はいくらでもあるだろう。

 即席麺も熱湯が必要とされるが、カルディでマストバイと言われるこれはどうだろうか? ごらんの通り――
 イギリス戦車は車内でタイヌードル/チキンビーフンが作れる。

 使うたびにイギリス戦車の可能性が開拓でき、ひいてはイギリス文化を知る手がかりになる点で、このRAK15 HWRはとても有用な装置だ。HWRを究めることで、こちらからイギリスの戦車兵に教える知見もでてくるだろう。
 SFではこれを外挿法という。戦車砲を撃つことは容易ではないが、ミリメシなら、MREや調理レシピ、器具を入手して手元で操作して可能性を探り、外挿できる。間宮羊羹やウォーゲームと同じ、モデリングの手法である。

 私はこの装置がすっかり気に入ったので、自宅で日常的に使えるように出力24V15Aのスイッチング電源を購入した。問題なく使えているが、この電源は中国製で3000円ぐらいの安物なので、火を噴いたりしないか、現在様子を見ているところだ。


超乗合馬車2016レポート


 ニコニコ超会議2016で、また超乗合馬車を走らせてきた。馬のかぶりものをつけた人がひっぱる人力馬車だ。
 超乗合馬車はニコつくのまるなげ広場出展企画のひとつで、毎回ユーザー支援企画に採択されている。ところが超会議は去年からホール9~11を使うようになり、まるなげ広場もそちらに移った。馬車のコースや停車場は運営が決めるのだが、去年も今年もホール4~6の通路を周回させている。
 馬車のミッションのひとつは「まるなげ広場の出展作品・出展者を載せてアピールする」なのだが、ホールが離れてからはほとんど実施できていない。今回はテクノコスプレ研究会の電飾ドレス、ニコニコ学会ぐらいだ。
 そのかわり、主要企画が集まるホール4~6にはコスプレイヤーが多くいるので、この人たちを乗せることがメインミッションになった。そのほか、お隣で営業していた超マッスルタクシーやユーザー記者、プレッシャーイベント企画室のゾンビと自宅警備隊も乗せている。
 まずは動画でこのカオスな眺めを見ていただきたい。





 以下に私の撮った写真も載せるが、ピンぼけ・手ぶれが多くて申し訳ない。超会議会場はちょっと薄暗くて、コンデジでは苦しい感じだ。
 まず、初日の様子から。最初の2枚は入場前の様子で、練習走行の途中で川上会長を乗せたりしている。






































 青いTシャツの人たちは運営スタッフで、馬車には8人が派遣され、交通整理を担ってくれている。一日中人混みの中を先導するのでなかなかの重労働なのだが、リピーターの人もいる。
 巨大モニターの画面は混雑度マップで、馬車の位置も表示されている。このため、馬車にBLEビーコン用のスマホを積み、そのIDを運営に伝えている。
 続いて二日目の様子。













































 二日目、超会議閉幕15分前になると、運営スタッフは各ブースに整列して来場者を見送った。それから記念撮影をした。今年のコースはスプラトゥーン・ブースの前が混雑して、回避するのに苦労したが、トラブルもなく、無事に二日間を乗り切った。

 馬車に乗ってみたいと思った人に、簡単に指南しておこう。
 馬車は企業ブースの宣伝でなければ、誰でも無料で乗れる。ただし、コスプレや歌・楽器演奏、企画紹介など、なんらかのアピールをすることが条件だ。そのために音響装置と電光掲示板を装備している。
 ほかに車椅子の人やベビーカーの親子連れなども優先的に乗せている。馬車に乗ると、座っていてもまわりの人より頭ひとつ高い視点が得られて楽しいはずだ。
 馬車は予約もできるが、当日乗り場に来ても10~20分待つ程度で乗れる。馬車から見渡す超会議は絶景で、通路を行く人たちが笑ったり手を振ってくれたりするのが楽しい。
 アピールするものがない人も、馬(引き手)になることができる。馬役も常時募集している。通路にいる人たちはまず馬を見て笑うので、これが楽しくてリピーターになる人もいる。
 搭乗者も馬役も例年不足がちで、スタッフが通路でスカウトしたり、ブースに営業をかけたりしている。どうも馬車は誰でも参加できることがよく知られていないようだ。馬車に乗るのは選ばれた人ではない。望んだ人だ。今年は初めて待機列ができたが、長い列ではなく、せいぜい数人程度だった。停車場(馬車のりば)に来ればたいていすぐ乗れるので、来年はぜひ参加してみてほしい。

 超乗合馬車は今年で4回目になるが、毎年これをやるのは正直、つらい仕事だ。馬車を自宅に保管し、整備し、スタッフを取りまとめ、運営とやりとりし、超会議の二日前からトラックをレンタルして馬車を積み込み、幕張メッセと往復しなければならない。ユーザー支援企画とはいえ、支給されるのは実費だけ。事故は許されないから高いプレッシャーがある。自分が目立てたり、賞賛されるわけでもない。今年は腰痛にも苦しめられた。
 2007年頃からニコニコ技術部で活動していた古株の人たちはすっかり減ってしまった。ニコつくの窮屈な管理体制も気にくわないし、超会議はマンネリだし、自分たちも同じ企画を繰り返しているわけだから、そろそろ幕を引く時ではないか、と思ったりもする。
 だが超会議が始まって、搭乗者と馬役を揃えて馬車が動き出すと、そんな思いは吹き飛んだ。もう一度、上の写真を見てほしい。老若男女、なんとカオスな人々が集うことか。おまいらはいったいここへ、何しに来ているのだ?
 今回、馬車は二日間で51便、馬役と合わせて582人が参加した。その1便1便が例外なくカオスな光景になるのだ。超会議はマンネリだが、このカオスを保ったままマンネリ化しているのはひとつの奇跡だと思う。
 小林幸子スローロリス初音ミクもいいが、超会議でいちばん素晴らしいのは来場者だ。超会議2で初めて馬車企画をやった時は有名人を呼んだりしたが、その後はもっぱら一般来場者を乗せている。私はこの人たちをかき混ぜ、スポットを当て、ひととき主役になってもらうのが楽しいし、そうする価値があると思うから馬車を続けているわけだ。
 馬車を引いてくれた人、乗ってくれた人たちに改めて言いたい。
 おまいらのことはまったく理解できないが、大好きだよ。また寄ってくれ!

・馬車スタッフ、あずさんのブロマガ記事>> 超会議に来るなら、超乗合馬車も見てってよ!


『ポール・ケーニッヒのバルジ/第6装甲軍』をプレイしてみた


 1980年代に活動していたSFファンにとって、ウォーゲームは基礎教養のひとつだった。DAICON IVのオープニングアニメにはヘクスマップが現れるし、SFマガジンには海外のゲームを紹介する安田均氏の連載があった。まだパーソナルコンピュータの性能は低くて、ウォーゲームといえば紙とダイスでプレイする時代だった。
 私も当時熱中したが、SF物が多く、史実を扱ったヒストリカル・ウォーゲームはあまり経験がない。
 昨年の夏、神保町の書泉グランデで『ポール・ケーニッヒのバルジ 第6装甲軍』(Paul Koenig's The Bulge: 6th Panzer Army 以下PKB) というゲームを見かけた。ちょうどニコニコ動画でガールズ&パンツァー一挙放送を見たばかりで、戦車戦のウォーゲームをやってみたいと思っていたところだった。A5くらいの小さな箱に入っていて、値段も手頃なので、レジに運んだ。しばらく積みゲーになっていたが、今年になってようやくプレイできた。

 PKBはオンデマンド出版らしく、マップとユニットは厚紙をレーザーカットしている。別に折りたためるソフトマップもついている。
 ルールブックは英語なので、日本語訳をこちらに公開しておいた。間違いがあったら指摘してほしい。
 PKBのマップはA3サイズで、プレイ時間は1時間とある。プレイヤーは二人だが、ソロプレイも難なくできる。難易度は普通で、ビギナー向きと言ってもいいだろう。ただし、この種のゲームをしたことのない人にとっては、結構難しい――というか、めんどくさいと思う。コンピューターゲームなら機械がやってくれる処理を、プレイヤーが手順通りに実行しなければならないからだ。はじめのうちはルールブックと首っ引きで、1ターン進めるのに半日ぐらいかかるかもしれない。
 だが、私に言わせれば、そこがいい。ウォーゲームは戦闘現象のモデルであって、モデルを通して現象を理解することが目的と言ってもいいだろう。非電源系のウォーゲームはその過程がすべてプレイヤーに開陳されている。
 PKBの場合はバルジの戦い、あるいはポール・ケーニッヒというデザイナーによるバルジ戦の解釈が理解の対象になる。

 プレイアビリティを保つため、非電源系ウォーゲームはぎりぎりまで簡略化したモデルになっている。何を捨て、何を残すかの判断もデザイナーの腕の見せどころで、プレイヤーにとってはゲームの見どころになる。
 一般論になるが、六方格子のヘクスマップを採用したこともウォーゲームの美しいアイデアだ。辺で接する領域が最大になり、現実の地図とよく近似する。
 左の図のように、ユニットがいるヘクスに隣接する6個のヘクスを、ZOC(Zone of Control、制圧ゾーン)といい、戦闘は敵ユニットがZOCに入ったとき始まるのが普通だ。また、敵ユニットはZOCに入ると移動をやめなければならない。
 敵ZOCに入ったら必ず戦闘しなければならないシステムを「マストアタック」、任意に戦闘するものを「メイアタック」という。
 敵のZOCに一度入ると、戦闘結果によってしか出られないシステムを「強ZOC」、ある移動コストを支払って任意に出られるものを「弱ZOC」という。
 戦闘結果には程度によって敗者ユニットが後退する、消滅する、などのバリエーションがある。防御側が後退した経路に沿って攻撃側が進出する「戦闘後前進」というシステムもある。戦車隊が敵を蹂躙していくイメージだ。

 PKBは弱ZOC、メイアタック、戦闘後前進あり、のシステムになっている。
 普通のゲームと違うのは、戦闘解決のとき、防御側ユニットの戦闘力を考慮しないことだ。攻撃側の戦闘力の合計と、防御側ヘクスの地形効果の差で勝率が決まる。都市や森林なら防御側有利、平坦地では不利になる。
 戦車がいようが歩兵がいようが同等の防御力でいいのか、とも思うが、均せばこれでいいのかもしれない。凝ったシステムだと各ユニットに戦闘力と別に防御力があり、さらに対空防御力、対地防御力などと区別することもあるのだが、シンプルさとのトレードオフになるだろう。
 なおこれは基本的なルールで、PKBの戦闘解決では、航空支援や砲兵による遠距離支援、歩兵と戦車の混成効果なども加味される。

 実際にソロプレイしてみよう。これは第1ターンが始まる前、セットアップの状態だ。
 バルジ戦の北東1/4ぐらいがマップになり、1ヘクスの直径は約3km。
 マップ中央の都市はマルメディで、バストーニュは地図の外にある。
 期間は最初の三日半、全7ターンになる。つまり1ターン12時間だ。
 ドイツ軍ユニットはグレーまたは黒、連合軍ユニットは緑に彩色されている。東側からドイツ軍が一気に侵攻してきて、西進するのを連合軍が食い止めようとする展開になる。
 マップの上にあるのはターン記録シートで、各ターンの補充ユニットが並べてある。

 第3ターンの様子。黒いのはドイツ軍精鋭のSS部隊で、中でもパイパー戦闘団は特別ルールでどんどん進めるようになっている。
 パイパー戦闘団が開いたルートを通って、ドイツ軍はマップの南側を順調に西進している。
 連合軍は不意を襲われた形になるが、翌日(第3ターン)には地図上端の都市ユーペン(オイペン)から増援が入る。

 第7ターンが終って、ゲームが終了したところ。
 ウォーゲームは一般に非対称で、それを埋め合わせるようにサイドごとにVP(勝利ポイント)が設定されている。
 撃破したユニットの数と種類、占領した都市の数などからVPを計算すると、ドイツ軍23VP、連合軍15VPでドイツ軍の作戦的勝利となった。
 PKBを通してソロプレイするのはこれが3回目で、まだ慣熟が足りない。デザイナーの思惑どおりにプレイできていれば、もう少しVPの差が縮まるのではないだろうか。

 このゲームが面白いかといえば、とても面白い。ソロプレイなんて面白いのかと言われれば、だからこそ面白いのだ、と力説したい。囲碁将棋などの完全情報ゲームと違って、ダイスの目に翻弄されるウォーゲームは一寸先が闇だ。不運な展開をどうリカバーするか、幸運をどう活かすか、さまざま状況を想定し、対処していくのが面白く、ソロプレイならいくら長考しても叱られない。
 なにより面白いのは、次々に現れる難問が、ボール紙とダイスと単純なルール、そしてプレイヤー自身の思考から生成されるということだ。プレイを終えたときには、それらが結合して(ごつごつしたヘクスマップ上に描かれるにもかかわらず)、ある流線を持った、現実に起き得たストーリーとして編み上げられることだろう。
 実世界がそうであるように、そこに脚本家は介在していない。私がRPGよりウォーゲーム、コンピューターゲームより紙とダイスのゲームに惹かれるのは、つまるところ、脚本の不在性によるのだと思う。

「想像上の間宮羊羹」の糖衣について


提督の食卓SPECIAL 【特集】間宮さんのお台所』に掲載された「想像上の間宮羊羹」だが、2015年冬コミでの発売以来、多くの人が実際に作ってくれていて嬉しい。Twitterで見つけたものは 随時Togetter「想像上の間宮羊羹」作例まとめ採録している。
 さて、作った人のツイートを見ていると、羊羹の表面にできるシャリシャリした糖衣が生成されなくて戸惑う人が多いようだ。
 記事では「型から外して1日ぐらい空気にさらしておく」だけで糖衣ができると書いたのだが、もっと時間がかかる場合もあるようだ。糖衣ができるまでの時間や条件は、私もよくわからない。わかっていたらレシピに書いただろう。しかし、いくつか思い当たることがあるので以下に説明しよう。
(1) 煮込み加減
(2) 気温・湿度
(3) 羊羹の表面状態
 の3要素だ。

「想像上の間宮羊羹」とは、ざっくり言えば海軍主計兵調理術教科書のレシピで作り、その後しばらく乾かして糖衣をつけたものだ。現在市販されているものだと、左の小城羊羹に近いのだが、これは偶然ではないようだ。有馬桓次郎さんの調査によると、間宮の羊羹製造スタッフと小城羊羹につながりがあるという。
 さて、海軍主計兵~レシピでは、布でしぼった小豆こしあんを、その重量×1.5倍の砂糖、棒寒天4本とともに煮込む。どれくらい煮込むかというと、実はちゃんと計測してない。1時間前後だったと思う。

 左が煮込み始め、右が煮込み終了の状態だ。鍋の内側にあるリベットは、下が鍋底から70mm、上が95mmの位置にある。
 目分量だが、煮込み始めは深さ55mmだったものが、終了時は45mmぐらいになっているようだ。体積が約20%減るまで煮込んだことになる。煮込みにつれて色が黒っぽくなり、飴っぽい匂いがしてくる。

 なお、写真の状態よりさらに強く、焦げつく寸前まで煮込んだこともある。そのときは羊羹が型にこびりついて、外した後もべとべとした状態が続いた。寒天というよりは、砂糖で固まった飴のような状態になったのかもしれない。

 気温・湿度もよくわからない。この作例は12月15日のもので、暖房のない台所に放置した。

 羊羹の表面状態だが、私の経験では、表面がつるつるだと糖衣ができにくかった。
 左の写真は押し寿司の型に細い針金を通して羊羹を切り離した直後の状態だ。いわばチーズ切りを使ったようなもので、上面はつるつるだが、針金で切った側面はざらざらしている。
 右の写真はしばらく空気にさらした後だが、左の写真の羊羹を裏返しに置いている。裏側は針金で底板から切り離したので、やはりざらざらになっていて、こちらのほうが糖衣が目立っていたからだ。針金は弧状になって羊羹を切り進んだので、その模様が糖衣に浮き出ているのがわかる。つるつるした面も糖衣ができていたが、一見変化がないように見えるので、写真うつりが悪かった。
 ざらざらした表面だとなぜ糖衣ができやすいのか。これもよくわからないのだが、微小なささくれの先端は乾きやすく、そこが結晶核のように作用しているのではないだろうか。この糖衣はつまりショ糖の結晶で、結晶は核になるものがないと成長しにくいものだ。

 左の写真は、村岡屋小城羊羹の手法を真似て、手箒で表面を撫でたものだ。これも針金で切るのと同じように、表面をわずかに荒らしたことになる。写真の手箒は掃除用のものだが、新品をいちど水でよく洗ってから乾かしたものだ。
 追記: こちらの記事に、小城羊羹作りの職人が手箒を使っている写真がある。

 このときの羊羹は12月20日に作り、29日の冬コミでれつまるさん、有馬さん、オペちゃんに差し上げた。れつまるさんが写真をUPしていたので、ここに転載しておこう。時間が経っているせいか、ちょっと厚めの糖衣ができている。

 左は自家消費用に作ったもので、ポリ袋でゆるく包んだまま、冷蔵庫で1か月ほど放置したものだ。2mmぐらいの分厚い糖衣ができていて、これはちょっと切りにくいし、食べにくい。さらに放置したらすべて糖衣になりそうだ。
 ともかく、海軍レシピで作った羊羹なら、空気にさらした状態にしておけば、糖衣は必ずできるはずだ。夏なら黴びるかもしれないが、腐る心配はまずないので、布巾などで空気が通る状態にして気長に待ってみよう。

 呉や横須賀で「間宮羊羹」として売られているものがある。調べたことはないのだが、土産物だから密封包装されているにちがいない。これらも包装を外してしばらく乾かせば糖衣ができると思う。ただしそれは海軍レシピでできた羊羹の話で、水飴を使った普及品の羊羹に糖衣ができるかどうかは未確認だ。

 




大洗でガルパン聖地巡礼してきた


 あんこう鍋の旬が二月一杯と知ったので、大洗を二泊三日で聖地巡礼してきた。
 2月18日の昼すぎ、東京駅に着いてみると「常磐線石岡駅で不発弾らしきものが発見されたため、常磐線は運行を停止しております。復旧の目処はたっておりません」とアナウンスされていた。ガルパン巡礼にふさわしいトラブルであった。
 Twitterで誘導をリクエストすると、水戸行きの高速バスをおすすめされた。八重洲南口に行ってみると長い行列ができていて、乗れるのは1420発だという。水戸まで2時間。水戸発大洗行きのガルパンラッピング列車の最終は1610発で、間に合いそうにない。




 だが幸運にも1400発の補助席の最後のひとつがまわってきた。1558頃に水戸駅北口に到着して、無事ガルパン列車に乗ることができた。上右の写真はcoza4さんが撮影してくれたもので、TV版7話のカットにそっくりだ。高架線で眺望が素晴らしく、心が浮き立ってくる。

 大洗駅に着いて、あたりを見回すと、「俺、ここ知ってるわー!」という風景が続々と現れた。瞼の裏を4号が、T-34が駆け抜けてゆく。いよいよテンションが上がった。

 駅舎内のインフォメーションは色紙やポスターがみっしり飾られていて驚いたが、以後も大洗の至るところでこんな光景を見ることになるのだった。
 スタッフのおばちゃんに聞いてみると、この日、平日木曜16時半の時点で約200人がインフォメーションを訪れたという。
「そのうちガルパン関係の人はどれくらいですか?」と聞くと「全員」という返事だった。「前は夏しか人が来なかったけど、アニメになってから一年中来てくれるんですよ」とのことで、地域興しには大きく貢献しているようだった。
 インフォメーションにはスタンプラリーの台紙や手書きの案内図がいろいろ揃っている。4話市街戦および12話優勝パレードのルートマップ、大洗から少し離れた戦車トンカツを出す店、Cook Fanへのルートマップなど、至れり尽くせりだ。
 大洗に来たら金を落とさねば、と思ってきたので、インフォメーションの向かいの売店でコースターと杏の酒を買った。金離れを良くするこつは、最初の店で買い物してしまうことだ。

 駅前を左折し、ようこそ通りを南下していくと、「寄せ木戦車専門 多満留屋という小さなギャラリーがあった。人がいなかったので覗くだけになったが、これは町おこしグッズの域を超えていた。地元の人がガルパンを咀嚼して自分のものにしている。どうもここは半端ないぞ、と思い始めた。



 若見屋交差点を東西にクロスするのが、アニメで市街戦の舞台となった商店街だ。「知っている場所」が次々に現れ、10mおきに等身大パネルが立ち並ぶ。店内には色紙やポスター、戦車の模型などが所狭しと展示されて、さながら現視研の部室のようだ。
 等身大パネルのある店には缶バッジや名刺が置かれていて、買い物するともらえる。私は次々と買い込んだ。




 これはさかげん酒店の様子。プラウダ高校の二人にあわせて、店内もロシアっぽく飾られている。ファンアート、ロシア空母をプラウダ高校の学園艦に仕立てた模型、声優ジェーニャさんのサイン色紙もあった。



 模型やイラストはファンが寄贈したものが多く、売り場の1/3~1/4ぐらいがそれで埋まっている店が普通にある。
 これで営業は大丈夫なのかと思うほどだが、実際、寄贈品が売り場を圧迫することもあるようで、大洗町商工会は「店舗等への寄贈物に関してのお願い」を掲げている。
 まあ、しょんぼりすることはない。慎重に言葉を選んだ文面からしても、商工会はいまの状況が続くことを望んでいるので、ファンはこういう「ありがた迷惑」を気にしすぎる必要はない。双方が前向きなのだから、店の人とよく話し合って需要を見極めればいい話だ。


 新屋酒店は山郷あゆみのパネル設置店で、「山郷のしずく」という酒を売っている。店内のガルパンコーナーはひかえめで、地元の人がのんびり語らっている。巡礼者が話に加わっていくことも日常化しているようだ。








 対称的に、このウスヤ肉店はさながらアニメショップの様相を呈している。決勝戦前夜にアリクイさんチームが食べた串カツで知られていて、年越しイベントも開いていた。
 この日は地元の婦人がお総菜を買いに来ていた。その人もキャラクターのパネル設置店をやっているのだが、ご主人が最近亡くなったので、パネルはひとまずしまっているとのこと。ガルパンプロジェクトが始まってもう5年になるから、関係者の身の上にもいろいろあるものだ。
 串カツは店内や店先のベンチで食べていける。米粉を使った衣がしっかりしていて、肉も厚さ5mmくらいあり、これで1本100円は安い。



 豊年屋機工部は水道管まわりのプロ向け資材店で、普通の人にはちょっと入りにくい店だろう。私はむしろ、なにか理由をつけてこういう店に入りたいくちなのだが。
 上段右の写真は、大洗の人が作った四号戦車で、砲身部分にこの店の水道管が使われているとのことだった。
「こんな店だからせっかくお客さんが来ても買うものがないでしょ? それで杉山さんが軍手のグッズを手配してくれて」と、おかみさんが言った。杉山さんというのはガルパンのプロデューサーだが、その名前が前置きなしで出てくる。店ごとに細かく気配りしている様子がうかがわれる。
 すると奥からご主人が「高い業務用の道具なんかを買ってってくれる人がいるんだ。『俺、大工だから大丈夫です、使いますから』って言ってね」と誇らしげにつけ加えた。なにを誇っているかといえば、客を誇っているわけだった。


 こちらはみむら時計店の店内。オリジナルグッズは眼鏡拭きだ。
 人の良さそうなおばあちゃんに「こういう色紙って店ごとに送られてくるんです?」と聞いたら、「いいえ、声優さんがここに来て書いてくださったんですよ」とのことで、これにも感心した。実にきめ細かく進められている。換言すれば、運営側、店、客がこれくらい親身になってやらないと、アニメ興しは成功しないのかもしれない。


 タグチ玩具店はなにしろ玩具店だからガルパングッズとの相性は抜群だ。戦車のプラモデルが揃っていて、私はここでタミヤの2号戦車を買った。
 こういう街角の玩具店模型店はすっかり少なくなってしまった。店の人に聞いてみると「大洗には4軒あったんですが、うちだけになっちゃいました」とのこと。「大型店は私たちにはつけられない値段で売りますしねえ…」
 これはどこの玩具店模型店でも聞く話だ。それでも、大洗の商店街は元気そうな小売店が多い。オタクはレアなもの、マニアックなものが好きなので、小さい店との相性はいいように思う。



 食事の話もしよう。「大洗は巡礼というより食べ歩きだった」とよく言われるし、実際その通りだった。海鮮食材が豊富で、駄菓子から料亭割烹まで、うまい店がたくさんある。
 今回は旬のあんこう鍋を目標のひとつにしていた。Twitterで聞いてみると、ちゅう心という店をおすすめされたので、予約を取って行ってみた。アニメに登場する鮮魚店「魚剣」こと「魚忠」と直結した、ちょっと高級な料亭だ。
 カウンター席なので、鍋は完成状態ででてきた。汁をひとくち飲んでみて、濃厚な旨味にむせた。
 板前さんによると、あんこうの身は旨味も少なくいい出汁が出るわけでもない。出汁はまず鰹で取るただ肝がとにかく最高の食材で、これをどれだけ汁にすりこむかであんこう鍋の出来が決まる、という。身の部分もプリプリした食感があるし、軟骨部分も独特の歯ごたえがあって面白い。
 隣に来たガルパン巡礼の人もあんこう鍋を食べて、二人でうまいうまいと小並感を繰り返した。残った汁は別料金で雑炊にしてくれるので、それも頼んだ。これも絶品で、つまり一滴も残さずたいらげた。
 こういう高級な店にはめったに来ないので、奮発して寿司も頼んだ。「醤油を塗ってありますので、そのままお召し上がりください」と言われる。あっという間に8貫食べてしまった。二日目も有馬桓次郎さんとちゅう心に行ったのだが、このときはあんこう鍋に加えて上海鮮丼(写真下段)をいただいた。刺身の盛り合わせみたいなゴージャスなものだった。
 ちゅう心の板前さんはまだ劇場版を見ていないとのことだったが、ガルパンについて面白い話をしてくれた。
「アニメで壊された店はさあ、客が増えるんだよね。ウチも壊してくれって働きかけたとこがあるみたいだよ?」
 
もう作中のセリフと見分けがつかない。4話の戦車が肴屋本館に突っ込むシーンで「うちの店がぁ!――これで新築できる!」「縁起いいなあ」「うちの店にも突っ込まねえかなあ」というやりとりだ。
 この記事によると、大洗シーサイドホテルは「うちにも一発くださいよ」と制作側にリクエストして、劇場版でKV-2の砲撃に至ったようだから、そのことかもしれない。
 アニメファンは困ったことしてないか、板前さんに聞いてみると「たまに変なのもいるけど、みんな礼儀正しいし身なりもちゃんとしてるし、海岸でごみ拾いしてくれたりするしね。いいんじゃないかなあ」とのことだった。

 私は初音ミクのように、サブカルからメインカルチャーに波及する力のある存在に注目してきた。
 ガルパンサブカルに属するが、作中では「戦車道」というメインカルチャーに化けるところが絶妙なアイデアだった。ひとたび受け入れてしまえば、メインカルチャー的に扱えることが、もしかしたら大洗プロジェクトの成功に寄与しているのかもしれない。
 私は大洗を含め、アニメ興し全般にちょっと懐疑的で、地元の人たちがどう思っているのかが気になっていた。一般人モードになって見れば、美少女イラストばかりずらずら並ぶ状態は、やっぱりおかしい。個人的に「リアルよりいいんだから仕方ないだろ」と思うにせよだ。
 大洗の場合、実際に見て聞いて回ってみると、リップサービスを考慮しても、おおむね好感を持たれているようだ。
「よくわからないけどお客さんが増えていいんじゃない?」ぐらいの人もいれば、明らかにファンと一緒になって楽しんでいる店もあった。
 ガルパンは十年に一度くらいの傑作アニメだと思うが、極端にマニアックな作品でもあり、一般人の嗜好とはかなり距離がある。エロやバイオレンス要素がほとんどなく、健全でハートフルな本筋を持つので、ちゃんと見れば嫌悪感はあまり持たれないだろう。それでも、萌えと軍事という二重苦を背負った作品なので、私は現地の人がこのプロジェクトを気に入っていない前提で接していた。自分で見聞した範囲では、その予想はいいほうに裏切られることがほとんどだった。

 巡礼者が現地の人と親しく交流する様子もよく見かけた。大洗の人はホスピタリティ抜群で、いい人ばかりでてくる点ではガルパン世界そのものだった。ガルパンのファンが大洗に行ったら、大洗のファンになって帰ってきた」とはよく言われることだ。
 私の地元も観光地が多いが、一般の観光客は結構行儀が悪いし、お客様気分でいる人が多い。大洗の巡礼者はそれよりずっと良質だったが、百点満点というわけでもない。オタクという人種はふだんおとなしいが、一度親しくなると他人の気持ちを考えずに舞い上がってしまうところがある。そんな状態ではしゃいでいる人をちらほら見かけた。戦車戦も対人関係も、かけひきは大切だ。このあたりを改めていけば、地元とのいい関係が長く保てるのではないだろうか。

 大洗にはまだまだ見どころがたっぷりあったのだが、記事が長くなるいっぽうなので、ひとまずここで区切りとしよう。結論だけ言うのは簡単だ。大洗はいいぞ



人生に大切なスナフキンごっこ


 人生はごっこ遊びだ。本物じゃなくても、真似事をしていれば、脳はそれを実体験とみなしてくれる。映画や小説やゲームを楽しめるのも、この能力のおかげだ。そして劇場版ガールズ&パンツァーを観た私は「そういえば俺はスナフキンになりたかったんだ」と思い立ったので、久しぶりに一人でキャンプに出かけた。
 私の住む紀伊半島には、舟か徒歩でしかアプローチできない海岸がたくさんある。正月が明けてまもなく、そのひとつ、S浜に行ってみた。素晴らしい場所だったので、もう三回も通っている。以下、これまでの旅の様子を適当に混ぜて紹介しよう。

 車で行ける終点から、道のりは2kmぐらい。高低差90mほどの手軽なルートだ。このへんがつまり、ごっこ遊びということになる。それでも一泊の狩猟キャンプなので装備はそれなりに重い。ときどき休憩しながら歩いた。途中の峠から海とS浜が見えた。
 冬なのに緑が濃く、ちょっと「蟲師」気分も味わえる。

 海岸が近づくと、土地が平坦になってくる。古い石垣や整地したような場所があり、杉が植林されている。樹木は一定の高さで樹皮が傷ついており、鹿による食害と思われる。樹木の根元にこすりつけられた泥は猪によるものだろうか。

 林の中を数頭の鹿が駆けてゆくのが見えた。そのほうに行ってみると、地下水がしみ出す場所があって、泥をこねたような跡があった。猪や鹿が泥浴びする、ヌタ場だ。

 海岸の手前にこぢんまりした海跡湖があった。淡水で、まあまあきれいな水質だ。峠からこっち、人家がないので、生活排水による汚染はない。
 海跡湖と海の間には砂洲がある。備長炭の材料になるウバメガシや天然記念物のハマナツメが繁っていて、砂洲といっても砂混じりの腐葉土になっている。ここにベースキャンプを設営した。この写真ではきれいだが、周囲は漂着したゴミや流木がたくさんある。しかし水はけのいい場所なので乾燥していて、あまり不潔感はない。焚き火にも好都合だ。

 太平洋に面したビーチは黒っぽくて、砂は粗粒だった。左右の岬の間は800mほどあるが、三回の旅で一度も人を見なかった。山道でハイカーやMTBライダーとすれちがっただけだ。
 携帯電話はずっと不通だったが、波打ち際近くまで来るとLTE回線がつながった。遠くの海岸線に基地局があるらしい。浜に来たときはツイートしたりしたが、基本的にはネットと隔絶された生活になる。もちろん、スナフキンになるためにはそうあるべきだ。
 周囲が山で、海に面しているところはムーミン谷に似ていなくもない。ムーミン谷のモデルはフィンランド湾にあるが、海岸線はこのあたりのリアス式海岸と似ている。

 散弾実包の大物用を右、鳥用を左のポケットにつめて、海跡湖のまわりの林で猟をした。周囲に民家がないので遠慮なく撃てる。できれば鹿や猪を仕留めたかったが、獲れたのはヒヨドリばかり。しかし今回初めて、飛行中の鳥を撃ち落とすことに成功した。スキート射撃を練習した甲斐があった。


 撃ち落としたヒヨドリの顔や嘴は黄色くて、一瞬ムクドリかと思ったが、花粉だった。周囲で開花しているのはヤブツバキだけ。この花で吸蜜していたにちがいない。このあたりのヤブツバキはウバメガシの次ぐらいに多い。

 ヒヨドリをさばくのは簡単で、皮ごとつるりと剥けてしまう。手羽の先、足首、頸を落として縦半分に切り分ける。背骨と胸骨の一部は捨てるが、あとの骨はつけたまま、ナイフの背で叩いて砕いておく。
 杉の枝を削って串にして、これにヒヨドリの身を刺し、塩を振って焚き火であぶる。

 薪になる木切れも、かまどにする石も、周囲にいくらでもある。ここでキャンプするならバーナーや燃料はいらない。飯盒ひとつと水筒、スプーンだけですむ。
 海跡湖の水は煮沸すれば大丈夫と判断したので、飯を炊いたりコーヒーを淹れるのに使った。

 おかずはソーセージと玉ねぎなど。クノールスープの具にした。
 三回目の旅ではマシュマロをあぶった。映画『ゴーストバスターズ』などで、アメリカ人が郷愁とともに語るキャンプの定番アイテムだ。


 ヒヨドリはセオリーどおり「強火の遠火」にして、1時間ぐらいじっくり焚き火であぶった。
 焚き火の風下側に置くといい感じに燻煙された。これをバリバリ噛みしめた時は「いまが人生のピークだ!」と有頂天になった。ヒヨドリはフルーツイーターでもともと美味な鳥だが、このときは脂が乗って素晴らしい風味だった。もしかして、ヤブツバキの花で吸蜜しているせいで味が良くなっているのだろうか?

 二度目の旅からはコーヒーを用意した。出発直前に豆から挽いてチャック付ポリ袋に入れて運ぶ。ドリッパー類は使わず、湯に粉を直接投入してかきまぜるだけ。粉の大半はカップの底に沈み、一部は浮くので、浮いた滓は最初にすすってぺっと吐く。あとは美味しく飲める。フィルターで濾すよりおいしく感じるのは気のせいだろうか。ともかくキャンプでのコーヒーは値千金だ。
 キャンプでの食事は夕食、夜食、朝食の三回で、夜食は道中のコンビニで買ったドーナツや菓子パンをおやつにする。主食は米3合、または食パン2斤で少し余るくらい。

 17時すぎ、日没になると鉄砲は撃てなくなる。ゆっくり食事をして、それが終わったらテントに入る。このときのほっとする気分も格別だ。野外にいると、こんな平和な場所でも体は臨戦態勢になっている。それがテントに入るだけで家に帰った気がして、全身が弛緩する。野外と屋内のモード切替は本能のレベルで刻まれているのではなかろうか。
 外気温はいちばん寒いときでも4℃くらいだった。ウインターシーズン用の寝袋に入ると暖かく、心地よい。ときどき外に出て用を足したり、周囲をぶらついて星を見上げたりする。
 一度目と三度目は新月に近く、降るような星空を満喫した。宵の頃は東の空にオリオン座、天頂にプレアデス星団がいる。夜遅くには北斗七星が立ち上がり、アークトゥルス、乙女座のスピカに連なる春の大曲線が見えてくる。
 満月に照らされた海や浜辺も素晴らしい。影がくっきりと落ちて、木々や湖水が青白く浮き上がる。遠くから鹿の「ぴいっ」という警戒音がこだまする。
 13時間ほど続く長い夜は、小説のプロットを考えているだけで退屈しない。思考はどんどん転がって、やがて小説のことなど忘れてしまうが、誰にも邪魔されず、考えることに集中できるのは得難い時間だ。
 テントのそばで獣の足音がするとちょっと怖いが、猟銃もあるし、獣は人を見たら逃げるだけで襲ってくることはまずない(と思う。ヒグマとかは別)。

 日の出なんてコミケに行くときぐらいしか見ないものだが、キャンプでは薄明のうちから目が覚める。
 銃猟ができるのは日の出から日没までだが、鹿や猪が徘徊するのは主に夜間だ。そこで日の出とともに銃を持って周囲を忍び歩いた。鹿や猪には出会えず、朝食用のヒヨドリを撃つにとどまった。海跡湖にはときどき鴨がやってきて、夜中にも鳴き声が聞こえたのだが、朝一番で見たときはいなかった。

 スタインベックの『朝食』を思いつつ、焚き火を復活させて朝食をたっぷり取る。
 三度目のときは飯を炊く代わりに8枚スライスの食パンを持っていった。食パンは一斤で400gほどあり、炊く前の米よりやや重いしかさばるが、炊飯用の飯盒が不要になるので互角というところだ。

 キャンパーとして一人前になるためには、"雉子撃ち"、すなわちトイレ「大」をこなさなければならない。
 ベースキャンプから少し離れた一角に穴を掘り、流木を井桁に組んで便座とする。事を終えたら、拭いた紙に火をつけて燃やす。紙はなかなか分解されないためだ。最後に土をかぶせて痕跡を消す。
 何日もキャンプを続ける場合は、入浴、洗濯なども必要になる。こつこつやるなら石鹸と飯盒だけでなんとかなるが、バックパッキングでも使える軽量コンパクトな湯船があればな、と思うところだ。今回は一泊なので、そこまではしない。
 午前中一杯、S浜にとどまって猟や自然観察をして、それから帰途についた。

 自分もこんなキャンプをしたい、と思った人はいるだろうか。私は人に教えるほどベテランではないが、低山徘徊ならそれなりに経験があるので、簡単に指南しておこう。以下はシビアな登山で通用する話ではない。本州中部、平野部~標高400mぐらいの低山におけるノウハウだ。
 冬期は寒さ対策さえしていれば、不快な虫もいないし、草や人も少ないから、むしろキャンプシーズンだと思う。
 私の装備は20~30年前の流行遅れなものが多いのだが、こんなものだ。40リットルぐらいの外フレームザック、ペツルのLEDヘッドランプ、メスナーの1~2人用テント、リッジレスト・マットレスモンベルの冬用シュラフ、迷彩ポンチョ、カップ+飯盒と入れ子になったロシア軍の水筒、自衛隊の戦闘飯盒2型、ナイフ(マキリ包丁)、調味料、食料、ライター、ハンドタオル、キッチンペーパー、レジ袋、手帳、小型双眼鏡。ほかに銃猟の装備として猟銃、散弾実包、狩猟者登録証等が加わる。
 衣類は保温下着を着ていれば十分だろう。
 単独かつ徒歩のバックパッキングだから、軽量化・コンパクト化には留意すべきで、ホームセンターより登山用品店でそれなりの品質のものを買ったほうがよい。
 現地に水場や薪があるかどうかで装備は変わってくる。今回の旅だと水は2リットルほど使うが現地補給できる。焚き火ができなければバーナー類が必要になる。
 つい便利な装備を揃えたくなるが、
不便に直面し、なんとかしていくことこそキャンプの醍醐味であることを忘れてはならない。
 スナフキンはこう言っている。
「人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ、その小さなパンケーキ焼きの道具も」
「なんでも自分のものにして、もってかえろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、立ち去るときには、それを頭の中へしまっておくのさ」
 もう少し暖かくなったら、ザックも寝袋もマットレスも持たず、毛布に一切合切を包んで背負っていく、ブランケットロールの旅をしてみたいものだ。

 装備を揃えたら、室内や河川敷など、身近な場所で練習しよう。何事もリハーサルなしではうまくいかない。数km歩くだけ、野外調理だけ、部屋でテントを組み立てるだけ、一泊のテント泊だけ、というように進めていけばよい。スキルを身につければ自信がつく。自信がつけば、いつでも、どこへでも旅立てる。



『提督の食卓SPECIAL 間宮特集』と30年ぶりのコミケ


 このたび、このブロマガでもたびたび紹介しているスタジオゴンドワナの同人誌『提督の食卓』新刊に記事を寄稿した。給糧艦間宮の再現レシピとして「想像上の間宮こんにゃく」「想像上の間宮羊羹」、そしてコラム「間宮さんを守れ ――給糧艦間宮の最期」である。
 レシピに「想像上の」がかぶさっているのは、想像で補っている部分があるからだ。とはいえ、有馬さんから間宮羊羹製造に携わった人の調査結果や、実際に食べた人の証言などの情報提供を受けたので、自分一人で研究していた時よりは格段に再現性が高まっている。
 艦これ本の体裁を取っているが、艦これが始まる前からの有馬さんのリサーチが結実したもので、間宮研究の決定版と言ってもいい完成度になったと思う。
 コラム「間宮さんを守れ」は潜水艦シーライオンによる間宮撃沈を、当時の哨戒レポートをもとにCaSで再現したものだ。
 この分析では間宮が攻撃を回避し、さらに護衛艦がシーライオンに反撃する可能性もあったことがわかった。紙幅の関係で反撃シナリオまでは語れなかったが、いずれブロマガで詳説したいと思う。

 新刊はコミケ89で発売されるというので、自分も売り子として参加したい旨申し出たところ、快諾していただいた。
 コミケは晴海時代、1980年代半ばに数回出たきりなので、現在の様子を見ておきたかったのである。関係者に贈るために「想像上の間宮羊羹」を6本作った。識別してもらいやすいように、Twitterアイコンつきの名刺も作った。

 12月30日、コミケ二日目の朝。東銀座のホテルを6時半頃チェックアウトして有楽町線で新木場へ行き、りんかい線に乗り換えた。左は0718の国際展示場駅前の様子。すでにかなりの人出がある。ここからまっすぐビッグサイトに向かえば、あの巨大な行列が見られるはずだったが、私は臨時駐車場のそばで有馬さん一行と待ち合わせた。

 スタジオゴンドワナ(ガレージのき☆したと合同)のスペースは東1と2の間で、トラス柱の前だった。
 この時までわかってなかったのだが、スタジオゴンドワナは準大手サークルの扱いで、ここは"偽壁"スペースというのだそうだ。壁サークルのように、待機スペースが他より広い。
 コミケのサークル参加といえば、並ばずに入れてのんびり一日を過ごし、ときどき交代で買い物に行けちゃうよな…と目論んでいたのだが、少々甘かった。
 周囲は見渡す限り艦これ系だった。ポスターを眺めているだけでも眼福だったが、これだけ多いと選択回避に陥ってしまう。30年前もそうだったが、表紙はどこも立派なので、当日に選ぶのは難しい。

 前日搬入されていた大量の本。スペースが狭いので、テーブルのすぐ後ろに隔壁のように積まれた。売り子はテーブルと隔壁のわずかな隙間に立つことになる。

 外に出てみると、屋台が数軒あった。コンビニで飲み物とおにぎりを買い込んでおいたのだが、食事も一応できるとわかった。
 写真右は荷物の受け渡しエリアらしい。当日搬入というやつだろうか。

 ゴミ収集所はいつ見ても業者の人が中身を搬出していた。段ボール箱は各自で解体してコンパクトにまとめてから運んでいた。
 写真右はかわいいポスターだなと思ってよく見たら救護所の案内だった。

 0950、スペースの設営は完了していた。売り子としてあすか(あすきょう) ‏@asukyo_asukaさんが艦娘間宮のコスプレで参加された。まるで後ろのポスターから抜け出したようなかわいい人だった。
 10時に開場したとき、売り子はあすかさんと私の二列態勢だったのだが、みんなあすかさんのほうに並ぶのだった。「二列でお願いしまーす。運の悪い人はこっち」と声をかけて誘導した。
 開場直後はそれほど混まなかったが、11時頃から360度みっしり人の壁ができて、イモ洗い状態になった。壁サークルに突進していた人々が時間差で島に流れてくるらしい。
 たいていの人は、あらかじめ売られているものを知っていて「これください」と新刊を示す。「中を見てもいいですか?」と聞いてくる人は1~2割だろうか。「いいに決まってるじゃないか。君の金だ、しっかり見定めて判断したまえ」と内心思ったが、列が停滞するのを気遣っているのかもしれない。立ち読みする人は脇に動いてもらい、次の人を誘導したりしたが、これは島の端部、いわゆる"お誕生日席"でないと難しいかもしれない。コミケは人口密度が半端なく高いので、いろいろ配慮して行儀良くしないといけないことを、来場者から教えられた格好だ。
 私はマスゲームのような状態を嫌う性分なので、ときどき発作的に秩序を乱したくなったが、ぐっと我慢した。マスゲームといっても内容は「個」の集積であるから、邪魔するわけにはいかない。

 11時半頃、早くも声が枯れてきたので交代してもらい、トイレと喫煙所に出かけた。外を見ると、人の海ができていた。『日本沈没』の皇居開門シーンを思い出す。「見ろ、人がゴミのようだ!」と叫びたくもなったが、これも我慢した。
 14時になるとピークは過ぎた感じになったが、スタジオゴンドワナの本は一定のペースで売れ続けていた。有馬さんによると、いつもこのパターンだという。
 私は「羊羹って何だ?」とツイートしていたポーランド人、オペちゃん @OPERATORCHAN に「想像上の間宮羊羹」を差し入れに行った。オペちゃんのスペースは西館のメカミリエリアにあって、早々に完売していた。羊羹を一本手渡し、さらに試食用を一切れ食べたオペちゃんは「うんまっ!」と言ってくれた。
 メカミリエリアにも面白そうな本がたくさんあったのだが、きりがないので一冊も買わなかった。結局、この日は艦これエリアで呉や舞鶴の探訪本を数冊買うにとどまった。

 16時、閉会となって片付けが始まった。右の写真は1616に撮影したもので、どのサークルも手際よく撤収していく。スタジオゴンドワナは搬入した本をほとんど売り切り、残ったのは段ボール1~2箱程度。

 階段には未発達ながら"コミケマリモ"が発生していた。これは私がコミケに通っていた頃に初めて観測・命名されたもので、現在では知らない人もいるようだ。人混みで発生した埃が凝集してマリモ状になる現象を言う。

 有馬さん一行は打ち上げに行くとのことだったが、私は三重県まで帰るため、先に失礼した。写真は1640のビッグサイト。混雑はかなり解消していて、ゆりかもめにも待たずに乗れた。
 30年ぶりのコミケはどうだったかというと、大きな違いはなかったと思う。規模は拡大し、同人誌の印刷品質も向上し、外国人が増えていたが、一人の人間が見回せるものは、基本的に変わっていない。30年前と同様、コミケスタッフは手慣れていてホスピタリティも良好だし、サークルも一般入場者も行儀が良く、群衆事故の危険をどうにか回避していた。現在、大手同人誌は通販で買えるものが多いので、かつてのような殺気立った雰囲気は緩和されていると思う。
 最近の変化として、男性コスプレイヤーが増えて更衣室が混雑したと聞く。私はコスプレイヤーそのものをあまり見なかったので実感がない。ニコニコ超会議の超乗合馬車では、確かに男性コスプレイヤーの搭乗が年々増えているし、性別がわからないことも少なくない。