野尻抱介blog

尻Pこと野尻抱介のblogです

ダージリン様の紅茶の完全再現、またはイギリス戦車の可能性について

「どんな走りをしようとも、我が校の戦車は一滴たりとも紅茶をこぼしたりしないわ」
 ――と、ダージリン様はのたまい、戦車内で優雅に紅茶を飲むのだが、これはエスニック・ジョークのひとつだろうか?
 ガルパンに限らず、艦これの金剛も「ティータイムは大切ネー」と言うし、アニメ「名探偵ホームズ」のモリアーティ教授も頑固にティータイムの習慣を守っていた。

「イギリスの戦車は車内で紅茶が淹れられるんだってな」
 これは日本のアニメに限らず、内外ミリタリー・ファンの間でも定期的に話題になることだ。ずっと判断を保留してきたが、今回調べてみると、事実だとわかった。
 WW2が終ってまもなく、センチュリオン戦車の砲塔内に給湯器が設置されたのが始まりだ。
 これにはきっかけがあった。ノルマンディ作戦で上陸したイギリスの機甲部隊が、ある朝、車外でモーニング・ティーをしていたところ、ドイツ軍のミハエル・ヴィットマンに襲撃されてボコボコにやられた。部隊は30輛近い戦闘車両を失って壊滅状態になったのだった。(ヴィレル・ボカージュの戦いThe British Perfected the Art of Brewing Tea Inside an Armored Vehicle )
 これを教訓として、イギリスの戦闘車両は車内で紅茶を淹れられるように改修された。紅茶を我慢するという選択枝はなかったらしい。「日本海軍の海水風呂と同じようなものだ」と評する記事もあった。
 この伝統は現在も続いていて、給湯装置をHWR(Heaters Water and Ration)、または Boiling Vessel, BV と呼ぶ。
 ebayで検索してみると、RAK15というモデルの中古品が出回っていた。同名で2タイプあるようだが、私はトップが黒いタイプを購入してみた。送料込みで2万円弱だった。


 詳細なオペレーションマニュアル(PDF)がネット公開されているので、動作させるのはたやすかった。電源はDC24Vで15A、ハイエンドPCぐらいだ。とりあえず超乗合馬車用のバッテリーを2個直列にして通電してみた。電源コネクターは合うものがなかったので中の基板に直結した。
 高温モードで83℃、低温モードで65℃の湯が作れた。湯は右下の黒いハンドルを引くと、ちょろちょろ出てくる。このハンドルは少々使いにくいが、何かがぶつかっても湯が出ることはまずない。パネルのトグルスイッチにもフィンガーガードがついていて、不用意に動かないようにできている。MILスペックというやつだ。内部もきれいにモジュール化されていてメンテナンスしやすく、故障原因探索のフローチャートマニュアルに掲載されている。「ユーザーが分解できないものは所有したことにならない」とMakerの権利章典にあるが、軍用品はこういうところが嬉しい。

 それにしても、紅茶で83℃は低すぎる気がするが、どうだろうか? 仕様では88℃になっているから、調整すべきかもしれない。
 仕様通りとしても温度が低めなのは、たぶん安全のためと、狭い戦車内で沸騰させたら水蒸気が結露したりして厄介だからだろう。
 一般に紅茶を淹れる湯の適温は95℃~100℃くらいとされている。しかしこの装置は紅茶に関して妥協しない態度から生まれたのだから、88℃は許容範囲なのだろうか。紅茶通の皆さんの意見を聞きたいところだ。

 ともかく紅茶を試してみよう。
 ポットに湯だけを入れて暖めてからセイロン・オレンジペコの茶葉を入れ、改めて湯を注いだ。
 待つことしばし。案ずることはない、熱々のお茶ができた。香りも良い。
 諸君、これがダージリン様が戦車で飲んでいる紅茶だ。
 
彼女のティーカップはもっと高級そうだが、それは今後の課題としよう。私のはベーカー街の土産物屋で買った安物だ。

 HWR(Heaters Water and Ration)という名のとおり、この装置は湯を沸かすだけでなく、糧食を暖めることにも使われる。むしろこちらが本領かもしれない。現代戦車はNBC戦で何日も外に出られない状況が想定されるから、車内で食事を取れることが要請されるわけだ。

 左の写真の通り、RAK15は容器内にぴったりはまる内鍋が付属している。これでレトルト食品を湯煎したり、シチュー類を暖めたりできる。
 MREの代りにコンビニのレトルトカレーとパック御飯を入れてみた。カレーは温めるだけでいいが、御飯はでんぷんの糊化という相転移が必要だから、うまくいくかどうか心配だった。だがこれも案ずることはなく、30分ほどでほかほかのカレー&ライスができた。なかなか優秀だ。
 ここで改めて、この装置を使うことの意義を強調しておきたい。
 RAK15 HWRはまぎれもなく、本物のイギリス戦車の一部である。
 RAK15 HWRでできたことは、イギリス戦車でもできる。
 よって
次のことが証明されたことになる。
 イギリス戦車は車内でレトルトのカレーライスが作れる。

 もっと本格的な調理はどうだろう? 『提督の食卓SPECIAL【特集】艦娘たちのカレー改』から重巡愛宕のレシピ「ハムと野菜のカレー煮」を作ってみた。
 このレシピを選んだのは、煮るだけでできるからだ。しかし内鍋の温度は70℃くらいにしかならず、煮立てることができない。じわじわと低温調理する形になって、2時間ほどかかった。空腹をこらえて待つことになったが、ともかくおいしく食べられるものにはなった。これで次のことが証明できた。
 イギリス戦車は車内で重巡愛宕のハムと野菜のカレー煮が作れる。

 どんどんいこう。イギリス人はビーフイーターと呼ばれるほど牛肉好きだから、ローストビーフを食べたくなることもあるだろう。
 生の牛肉の塊に塩・胡椒して薄いポリ袋に入れ、低温モードでゆっくり加熱してみた。この場合、内鍋は65℃になるので、いわゆる低温調理(真空調理)に近い。
 2時間後、取りだしてみると、芯まで火の通ったローストビーフができていた。ちょっと火が通りすぎたので、1時間程度でよかったかもしれない。
 イギリス戦車は車内でローストビーフが作れる。
 ただしこれは現地で生肉が入手できた場合だ。映画「ブラックホーク・ダウン」でヘリから牛を狩る場面があったから、そういうシチュエーションもあるかもしれない。

 肉といっしょにじゃがいもも漬けてみたのだが、まだ固かったので、高温モードにしてさらに2時間ほど漬けてみた。
 出してみると、ほくほくに茹だっていた。
 イギリス戦車は車内でじゃがバターが作れる。
 これで生の炭水化物もいけることがわかった。ドイツに侵攻すれば、じゃがいも畑はいくらでもあるだろう。

 即席麺も熱湯が必要とされるが、カルディでマストバイと言われるこれはどうだろうか? ごらんの通り――
 イギリス戦車は車内でタイヌードル/チキンビーフンが作れる。

 使うたびにイギリス戦車の可能性が開拓でき、ひいてはイギリス文化を知る手がかりになる点で、このRAK15 HWRはとても有用な装置だ。HWRを究めることで、こちらからイギリスの戦車兵に教える知見もでてくるだろう。
 SFではこれを外挿法という。戦車砲を撃つことは容易ではないが、ミリメシなら、MREや調理レシピ、器具を入手して手元で操作して可能性を探り、外挿できる。間宮羊羹やウォーゲームと同じ、モデリングの手法である。

 私はこの装置がすっかり気に入ったので、自宅で日常的に使えるように出力24V15Aのスイッチング電源を購入した。問題なく使えているが、この電源は中国製で3000円ぐらいの安物なので、火を噴いたりしないか、現在様子を見ているところだ。