野尻抱介blog

尻Pこと野尻抱介のblogです

人生に大切なスナフキンごっこ


 人生はごっこ遊びだ。本物じゃなくても、真似事をしていれば、脳はそれを実体験とみなしてくれる。映画や小説やゲームを楽しめるのも、この能力のおかげだ。そして劇場版ガールズ&パンツァーを観た私は「そういえば俺はスナフキンになりたかったんだ」と思い立ったので、久しぶりに一人でキャンプに出かけた。
 私の住む紀伊半島には、舟か徒歩でしかアプローチできない海岸がたくさんある。正月が明けてまもなく、そのひとつ、S浜に行ってみた。素晴らしい場所だったので、もう三回も通っている。以下、これまでの旅の様子を適当に混ぜて紹介しよう。

 車で行ける終点から、道のりは2kmぐらい。高低差90mほどの手軽なルートだ。このへんがつまり、ごっこ遊びということになる。それでも一泊の狩猟キャンプなので装備はそれなりに重い。ときどき休憩しながら歩いた。途中の峠から海とS浜が見えた。
 冬なのに緑が濃く、ちょっと「蟲師」気分も味わえる。

 海岸が近づくと、土地が平坦になってくる。古い石垣や整地したような場所があり、杉が植林されている。樹木は一定の高さで樹皮が傷ついており、鹿による食害と思われる。樹木の根元にこすりつけられた泥は猪によるものだろうか。

 林の中を数頭の鹿が駆けてゆくのが見えた。そのほうに行ってみると、地下水がしみ出す場所があって、泥をこねたような跡があった。猪や鹿が泥浴びする、ヌタ場だ。

 海岸の手前にこぢんまりした海跡湖があった。淡水で、まあまあきれいな水質だ。峠からこっち、人家がないので、生活排水による汚染はない。
 海跡湖と海の間には砂洲がある。備長炭の材料になるウバメガシや天然記念物のハマナツメが繁っていて、砂洲といっても砂混じりの腐葉土になっている。ここにベースキャンプを設営した。この写真ではきれいだが、周囲は漂着したゴミや流木がたくさんある。しかし水はけのいい場所なので乾燥していて、あまり不潔感はない。焚き火にも好都合だ。

 太平洋に面したビーチは黒っぽくて、砂は粗粒だった。左右の岬の間は800mほどあるが、三回の旅で一度も人を見なかった。山道でハイカーやMTBライダーとすれちがっただけだ。
 携帯電話はずっと不通だったが、波打ち際近くまで来るとLTE回線がつながった。遠くの海岸線に基地局があるらしい。浜に来たときはツイートしたりしたが、基本的にはネットと隔絶された生活になる。もちろん、スナフキンになるためにはそうあるべきだ。
 周囲が山で、海に面しているところはムーミン谷に似ていなくもない。ムーミン谷のモデルはフィンランド湾にあるが、海岸線はこのあたりのリアス式海岸と似ている。

 散弾実包の大物用を右、鳥用を左のポケットにつめて、海跡湖のまわりの林で猟をした。周囲に民家がないので遠慮なく撃てる。できれば鹿や猪を仕留めたかったが、獲れたのはヒヨドリばかり。しかし今回初めて、飛行中の鳥を撃ち落とすことに成功した。スキート射撃を練習した甲斐があった。


 撃ち落としたヒヨドリの顔や嘴は黄色くて、一瞬ムクドリかと思ったが、花粉だった。周囲で開花しているのはヤブツバキだけ。この花で吸蜜していたにちがいない。このあたりのヤブツバキはウバメガシの次ぐらいに多い。

 ヒヨドリをさばくのは簡単で、皮ごとつるりと剥けてしまう。手羽の先、足首、頸を落として縦半分に切り分ける。背骨と胸骨の一部は捨てるが、あとの骨はつけたまま、ナイフの背で叩いて砕いておく。
 杉の枝を削って串にして、これにヒヨドリの身を刺し、塩を振って焚き火であぶる。

 薪になる木切れも、かまどにする石も、周囲にいくらでもある。ここでキャンプするならバーナーや燃料はいらない。飯盒ひとつと水筒、スプーンだけですむ。
 海跡湖の水は煮沸すれば大丈夫と判断したので、飯を炊いたりコーヒーを淹れるのに使った。

 おかずはソーセージと玉ねぎなど。クノールスープの具にした。
 三回目の旅ではマシュマロをあぶった。映画『ゴーストバスターズ』などで、アメリカ人が郷愁とともに語るキャンプの定番アイテムだ。


 ヒヨドリはセオリーどおり「強火の遠火」にして、1時間ぐらいじっくり焚き火であぶった。
 焚き火の風下側に置くといい感じに燻煙された。これをバリバリ噛みしめた時は「いまが人生のピークだ!」と有頂天になった。ヒヨドリはフルーツイーターでもともと美味な鳥だが、このときは脂が乗って素晴らしい風味だった。もしかして、ヤブツバキの花で吸蜜しているせいで味が良くなっているのだろうか?

 二度目の旅からはコーヒーを用意した。出発直前に豆から挽いてチャック付ポリ袋に入れて運ぶ。ドリッパー類は使わず、湯に粉を直接投入してかきまぜるだけ。粉の大半はカップの底に沈み、一部は浮くので、浮いた滓は最初にすすってぺっと吐く。あとは美味しく飲める。フィルターで濾すよりおいしく感じるのは気のせいだろうか。ともかくキャンプでのコーヒーは値千金だ。
 キャンプでの食事は夕食、夜食、朝食の三回で、夜食は道中のコンビニで買ったドーナツや菓子パンをおやつにする。主食は米3合、または食パン2斤で少し余るくらい。

 17時すぎ、日没になると鉄砲は撃てなくなる。ゆっくり食事をして、それが終わったらテントに入る。このときのほっとする気分も格別だ。野外にいると、こんな平和な場所でも体は臨戦態勢になっている。それがテントに入るだけで家に帰った気がして、全身が弛緩する。野外と屋内のモード切替は本能のレベルで刻まれているのではなかろうか。
 外気温はいちばん寒いときでも4℃くらいだった。ウインターシーズン用の寝袋に入ると暖かく、心地よい。ときどき外に出て用を足したり、周囲をぶらついて星を見上げたりする。
 一度目と三度目は新月に近く、降るような星空を満喫した。宵の頃は東の空にオリオン座、天頂にプレアデス星団がいる。夜遅くには北斗七星が立ち上がり、アークトゥルス、乙女座のスピカに連なる春の大曲線が見えてくる。
 満月に照らされた海や浜辺も素晴らしい。影がくっきりと落ちて、木々や湖水が青白く浮き上がる。遠くから鹿の「ぴいっ」という警戒音がこだまする。
 13時間ほど続く長い夜は、小説のプロットを考えているだけで退屈しない。思考はどんどん転がって、やがて小説のことなど忘れてしまうが、誰にも邪魔されず、考えることに集中できるのは得難い時間だ。
 テントのそばで獣の足音がするとちょっと怖いが、猟銃もあるし、獣は人を見たら逃げるだけで襲ってくることはまずない(と思う。ヒグマとかは別)。

 日の出なんてコミケに行くときぐらいしか見ないものだが、キャンプでは薄明のうちから目が覚める。
 銃猟ができるのは日の出から日没までだが、鹿や猪が徘徊するのは主に夜間だ。そこで日の出とともに銃を持って周囲を忍び歩いた。鹿や猪には出会えず、朝食用のヒヨドリを撃つにとどまった。海跡湖にはときどき鴨がやってきて、夜中にも鳴き声が聞こえたのだが、朝一番で見たときはいなかった。

 スタインベックの『朝食』を思いつつ、焚き火を復活させて朝食をたっぷり取る。
 三度目のときは飯を炊く代わりに8枚スライスの食パンを持っていった。食パンは一斤で400gほどあり、炊く前の米よりやや重いしかさばるが、炊飯用の飯盒が不要になるので互角というところだ。

 キャンパーとして一人前になるためには、"雉子撃ち"、すなわちトイレ「大」をこなさなければならない。
 ベースキャンプから少し離れた一角に穴を掘り、流木を井桁に組んで便座とする。事を終えたら、拭いた紙に火をつけて燃やす。紙はなかなか分解されないためだ。最後に土をかぶせて痕跡を消す。
 何日もキャンプを続ける場合は、入浴、洗濯なども必要になる。こつこつやるなら石鹸と飯盒だけでなんとかなるが、バックパッキングでも使える軽量コンパクトな湯船があればな、と思うところだ。今回は一泊なので、そこまではしない。
 午前中一杯、S浜にとどまって猟や自然観察をして、それから帰途についた。

 自分もこんなキャンプをしたい、と思った人はいるだろうか。私は人に教えるほどベテランではないが、低山徘徊ならそれなりに経験があるので、簡単に指南しておこう。以下はシビアな登山で通用する話ではない。本州中部、平野部~標高400mぐらいの低山におけるノウハウだ。
 冬期は寒さ対策さえしていれば、不快な虫もいないし、草や人も少ないから、むしろキャンプシーズンだと思う。
 私の装備は20~30年前の流行遅れなものが多いのだが、こんなものだ。40リットルぐらいの外フレームザック、ペツルのLEDヘッドランプ、メスナーの1~2人用テント、リッジレスト・マットレスモンベルの冬用シュラフ、迷彩ポンチョ、カップ+飯盒と入れ子になったロシア軍の水筒、自衛隊の戦闘飯盒2型、ナイフ(マキリ包丁)、調味料、食料、ライター、ハンドタオル、キッチンペーパー、レジ袋、手帳、小型双眼鏡。ほかに銃猟の装備として猟銃、散弾実包、狩猟者登録証等が加わる。
 衣類は保温下着を着ていれば十分だろう。
 単独かつ徒歩のバックパッキングだから、軽量化・コンパクト化には留意すべきで、ホームセンターより登山用品店でそれなりの品質のものを買ったほうがよい。
 現地に水場や薪があるかどうかで装備は変わってくる。今回の旅だと水は2リットルほど使うが現地補給できる。焚き火ができなければバーナー類が必要になる。
 つい便利な装備を揃えたくなるが、
不便に直面し、なんとかしていくことこそキャンプの醍醐味であることを忘れてはならない。
 スナフキンはこう言っている。
「人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ、その小さなパンケーキ焼きの道具も」
「なんでも自分のものにして、もってかえろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、立ち去るときには、それを頭の中へしまっておくのさ」
 もう少し暖かくなったら、ザックも寝袋もマットレスも持たず、毛布に一切合切を包んで背負っていく、ブランケットロールの旅をしてみたいものだ。

 装備を揃えたら、室内や河川敷など、身近な場所で練習しよう。何事もリハーサルなしではうまくいかない。数km歩くだけ、野外調理だけ、部屋でテントを組み立てるだけ、一泊のテント泊だけ、というように進めていけばよい。スキルを身につければ自信がつく。自信がつけば、いつでも、どこへでも旅立てる。