ひとつ前のエントリ「『白いクスリ』について」はニュースサイトやホットエントリに載り、さらにひろゆき氏のblogで紹介されたことなどがあって、結構なアクセスがあった。詳細ははてなカウンター サービス終了のお知らせ参照のこと。ブロガーの夢「炎上」に至るのを期待したが、そこまではいかないようだ。自分基準では、直情的なコメントが大半をしめていないと「炎上」という気がしない。とはいえ、冷静な意見がそれなりにあることは喜ばしい。
「『白いクスリ』について」を書いたのは主に自分用の整理であり、なぜblogで発表したかといえば、「What if」というSFの手法を使えば見方が変わって面白いし、現行法について知らなくても語れるからだ。実現性や現行法を無視するというのは「ifの世界」である。よって今回のクリプトンの対応そのものを批判したのではない。それについては「現状ではやむなし」ぐらいに考えている。
ネットで削除肯定の意見を読んでも、多くは「やむを得ない」という消極性がつきまとっている。本音としては「こんな戯れ歌のひとつ、スルーしとけよ」という、もやもやした思いがあるようだ。もやもやしたまま止まっているのは、現状をふまえて判断するしかないと決め込んでいるからではないだろうか。理想論はゴールを示すのに役立つはずだ。
いくつかのコメントに答えてみよう。
(1) 包丁のたとえと世評について
本件で初めてVOCALOIDを知った人でも、「合成音声で歌唱するソフトだ」ということはわかるのではないか。ソフトは中立で、使う人によっていかようにもなることも自然にわかるだろう。また、報道されるのはたいてい悪いことが起きたとき、ということも暗黙のうちに了解されているはずだ。
あるいは「初音ミクはもっぱら誹謗中傷に使われている」と思わせる報道があったのだろうか? だとしたら、クリプトンはそれを偏向報道として抗議声明を出せばよかった。ついでに多様なボカロ文化をアピールすればいいだろう。『白いクスリ』を削除したことは臭いものに蓋をしたようで後味が悪く、有効とは思えない。現行の利用規約がなければ、削除の必要はなかったのではないか。
騒動から一か月以上経ったいま、初音ミクに対する世評は格別悪化していないように見える。これは削除が有効だった/そもそも杞憂だった、のどちらだろうか。充分な判断材料はないが、私は後者だと思う。TBS事件のときも、結局騒いだのは初音ミク・ファンだけで、世間は一瞬でスルーしたようである。過去にあった初音ミク騒動の多くは、架空の敵を相手にした独り相撲だったとみている。
(2) 自由な表現をしたければ自分で歌え/およびクリプトンのビジネスについて
音源の選択は表現の一部である。そしてぶっちゃけ、表現は見られなければ意味がない。初音ミクを使えば再生数はぐんと伸びる。皆が初音ミクを使いたがる大きな理由はここにある。
諸々の権利がクリプトンにあるのはもちろんだが、ユーザーの希望にそって対処することは同社の益に重なるはずである。
ユーザーにとって「世間から白眼視されないキャラクターを使える」と「商品イメージを守るために発売元がユーザーの作品を削除することもある」のどちらが魅力的だろうか。現状では前者を支持するユーザーのほうが多いかもしれない。だがそのイメージ、すなわち世間体が良くなるにつれて、削除したくなる作品も増えるのではないか。この方向に進むのは筋が悪いと思う。
(3)『白いクスリ』作者引退について
内実は知らないので、想像を述べた。想像であることは「〜だろう」「〜かもしれない」でわかるので、問題ないと考えている。想像をまじえて述べたのは、その想像が一般性を持つからである。
(4) 替え歌が同一性保持権にふれる件について
替え歌やパロディは、それが替え歌やパロディであることが明白なら許容されるべきと考える。すでに述べたとおり、現行法は考慮していない。
『白いクスリ』についてはここまで。
前のエントリで貼った『初音ミク・名曲ガイド』の説明がなかったのでここに書く。A5サイズ160ページと小振りで装丁も地味だが、内容が濃くておすすめである。楽譜、書き下ろしイラストのほか、全収録曲のP(作者)説明、歌詞、VOCALOID関連用語集、剣持氏インタビュー、コラボの流れやSNSにゃっぽん、ライブのレポートまで載っている。
本書の本領はP説明の始まる2章からで、その序文は、
「――音楽は、ラジオやテレビから流れてくるものだった。」
で始まる。編集者はVOCALOIDムーブメントが好きで、それを限られた紙幅のなかで可能な限り伝えようとしているのが見て取れる。
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