野尻抱介blog

尻Pこと野尻抱介のblogです

まつろわぬ人々の相馬野馬追ツアー

まつろわぬ人々の福島第一原発ツアー(その1 いわきクイーン編)
まつろわぬ人々の福島第一原発ツアー(その2 Jヴィレッジ&1F編)
の続き。
 1Fツアーは解散したが、私は引き続き一人で福島をほっつき歩いていた。週末から南相馬野馬追(のまおい)だと聞いたので、ぜひ見なくてはと思い、7月23日土曜日の宵、ルート6を北上して南相馬で一泊した。車中泊を覚悟していたが、たまたま電話してみた国道沿いのホテルが「キャンセルで一部屋空いてますのでお泊めできます」とのことで、そこに入った。

 翌朝7時すぎにチェックアウトして、臨時駐車場のひとつ「公園墓地」に車を止めた。7時50分頃だったが、車はどんどん入ってきていて、満車寸前だった。今日は三日間の野馬追の中日にあたる本祭りで、常磐線原ノ町駅の南西にある雲雀ヶ原祭場地が会場になる。駐車場からは徒歩10分くらいだった。

 8時すぎ、祭場地南ゲート付近の様子。天気は断続的な小雨で、野馬追では珍しいとのこと。「カンカン照りじゃないと野馬追って気がしねえな」と言うおじさんもいた。
 祭場地の南北に二つのゲートがあり、当日入場券もそこで買える。私も入場券を買ったが、祭場地でのイベントは午後からなので、まずは北からやってくる「お行列」を見ることになった。

 9時頃、祭場地の西を通る陸前浜街道の様子。沿道に見物人がたくさんいるが、幕張や有明で経験するような殺人的混雑ではない。9時半からスタートするお行列がここを通るので、自由に歩き回って好きな場所で眺められる。予約すれば桟敷席もある。
「これより騎馬行列がまいりますが、人、馬とも、たいへん勇んでおりますので、前を横切ったり、カメラのフラッシュを浴びせないようにお願い致します」 というアナウンスが流れている。
 私はこの意味をよく理解していなかったので、後で大失敗してしまった。


 9時半をまわると、赤い消防車輌に先導されて、南下するお行列が見えてきた。かっぽ、かっぽという馬の足音も響いてくる。すごい、馬も甲冑も幟旗も本物だ! 騎馬500騎、歩行(かち)武者が400人という大行列である。色とりどりの幟旗も目を奪う。こんな軍勢を隠しているから東北は油断ならない。
 列順は中ノ郷(原町区)を先頭に小高郷(小高区)、標葉郷(浪江町双葉町大熊町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)になる。この地名からわかるとおり、原発事故の影響をもろに受けた地域だが、事故当年の2011年も相馬三社に分けて神事のみを実施している。


 法螺貝を吹き鳴らしたりもする。女性や子供もいる。女性武者は二十歳未満で未婚という規定がある。男女非対称だが、伝統行事なのでいまのところはそうなのだろう。
 さて、街道の東側にいた私はヨークベニマルで弁当を買おうと思い、行列の切れ目ができたのを見計らって道を渡った。すると後続の先頭にいた騎馬武者が馬を小走りさせて駆け寄ってきて、鞭か何かで私をびしり!と指し、
「○×◎△□◇!!」と、ものすごい形相で怒鳴ったのである。
 何を言っているかわからない。怒っているのはわかる。
「あの、ええと…」
「○×◎△□◇!!」 騎馬武者は引き続き、憤怒の形相で怒鳴る。
「すみません、どういう…」
 すると近くの人が小声で「戻れ、戻れ」と言った。
 道を横断したのが悪かったらしい。私は再び東側の沿道に戻った。それからまわりの人に、
「どうもすみません、なんかすごく怒られちゃいました、お騒がせしました」と詫びた。
 すると地元のおばさんが、
「あー、知らない人はわかんないよねえ。お行列はすごく厳粛なもんだから、前を横切っちゃだめなんだ」
「そうそう、二階の窓から見るのもだめだし、昔は帽子かぶるのもだめだったんよ」
 と、もう一人のおばさんが言った。
 そういえば前を横切ったりフラッシュをたくな、とアナウンスしていた。行列の切れ目ならいいというものではないのだ。沿道の人が騎馬武者に手を振るところもあまり見なかった。武者が知り合いの見物人と、親しげに言葉を交わすところは見かけたのだが。
「今日はあの人たちがいちばん偉い日だから」「今日だけはね」
 そう言っておばさんたちはちょっと笑った。
 なるほどー。私は馬上からド叱られた困惑が晴れて、すっかり感心してしまった。私は役に入ってロールプレイできる人を無条件に尊敬してしまうたちだ。
 そうこうするうちに100mほど北側で、また一悶着起きた。私の時は単騎だったが、こんどは四、五騎が不届き者を取り囲んでわあわあ怒鳴っている。先行していたグループも歩みを止めて振り返っている。すごい緊迫感である。
 写真は撮ってなかったが、印象としては左のペンギンコラみたいな感じだ。
「ひええ… いきなりあんな目に遭ったら、私だったら泣いちゃうなあ…」
 思わずそうつぶやくと、近くにいたおじさんたちが振り返ってわははと笑った。
「いやあ、あたしらもこれが楽しみで来てるようなもんなんだ」
 さっきのおばさんも笑って言った。
 不届き者が態度を改めたのか、お行列は何事もなかったように再開した。
 私はますます感動してしまった。体験乗馬をしたことがあるのだが、馬というのはなかなか思い通りに動かないものだ。なのにあの騎馬武者たちは不届き者を見つけるなり素早く包囲して怒鳴りつけた。その馬術、立ち居振る舞いや発声が、恐いけど、すごく様になるのだ。

 不届き者がいなくても、本物の甲冑をまとった武者は、普通に行進するだけでハシビロコウのような威厳を放射する。まるで時代劇をVR体験しているみたいだった。
 こりゃあ、みんな野馬追に熱中するわけだ。こんな本気の祭りがあったら、この日のために一年間頑張れるなあ、と納得した。
原発事故の年もやったんですってね?」と、おばさんたちに聞いてみると、
「いやあ、あの年は避難してたからよくわかんねえ」という返事だった。

 野馬追は和風リエナクトメントでもある。元々が神事のふりをした軍事訓練なので、ミリタリーファンの人はぜひ生で見てみるとよい。刀は抜かないが、戦国時代の甲冑や馬具が、ちゃんと機能して全力を発揮する様子がわかる。馬はレンタルもあるが、甲冑は本人が所有して維持し、骨董品に1000万円以上かける人もいるという。
「これがまつろわぬ人々の祭りかあ…」と思い知ったわけだった。

 11時すぎ、赤い母衣(ほろ)を背負った総大将が通って、お行列は終った。沿道の見物人たちも雲雀ヶ原祭場地に向けてぞろぞろ移動し始める。路上には馬の落とし物が点々と残っていた。

 雲雀ヶ原祭場地のグランド面を「はら」、スタンド席になる斜面を「やま」という。やまの中央にあるつづら折りの道は羊腸の坂といい、競技に勝った騎馬が駆け上がる見せ場だ。

 当日券の私に、いい席は残ってなかった。やまの最高部に行ったが、松の木が邪魔であまりよく見えない。適当に座ったりうろうろしながら見物した。この頃には雨はほとんど止んでいた。


 正午、甲冑競馬が始まった。普通の競馬のようなゲートはなく、北側の直線路からよーいどんで発走してトラックを一周する。兜はかぶらないようだが、甲冑をつけた武者が大きな旗をはためかせて疾走するのだからすごい。これまで私は、甲冑の騎馬武者は歴史上の美景にすぎず、実際にはあまり戦力にならなかっただろうと思っていたので、一瞬で目から鱗が落ちた。あれは実用の兵装なのだ。


 出走を終えて羊腸の坂を上がってくる騎馬武者たち。みんないい顔をしている。女子騎手も凛々しいものだ。坂の上で景品らしき紙袋をもらって降りてゆく。


 続いて、神旗争奪戦が始まった。グランド内にすべての騎馬が集まり、神輿を担いだ神職が通る。色とりどりの旗が満ちて目覚ましく、「これは旗の祭りだ」と思った。旗幟鮮明の言葉どおり、所属をでかでかと示して戦う。なにごとも匿名でやるネット文化の対極にあるものだった。


 神旗争奪戦では花火を使ってストリーマーが打ち上げられる。この神旗を奪い取った者が勝ちだ。神旗の落下点では騎馬が団子になっていて、遠目にはよくわからなかった。勝者は神旗の数だけだから、羊腸の坂を駆け上がるときはソロになる。この姿がインディ・ジョーンズのようにかっこよく、騎手は嬉々としている。

 落馬して救急車が呼ばれたり、馬だけが坂を駆け上がってくるハプニングもあった。逆に、疲れたのか坂を上がろうとせず、手綱を引かれる馬もいた。こうしたことは野馬追ではよくあることらしく、皆なごやかに見物していた。


 15時頃、「〇〇殿に申し上げる。只今をもって神旗争奪戦を、閉じる!」「承知!」というアナウンスがあって、野馬追本祭りのプログラムは終了した。騎馬武者たちは三々五々解散していった。
 Twitterを見ると漫画『いちえふ』作者、竜田一人さんも野馬追見物に来ていたので、連絡を取って合流した。竜田さんによるとこのあと小高で火の祭りがあって、震災後休止していた花火が今回復活するという。じゃあ小高で現地集合しましょう、ということになった。

 小高は震災後何度か訪れていた場所だ。線量は低いのだが1Fに近いゆえ、長く立ち入り制限されていた。2012年5月に初めて来たときは商店街のあちこちに地震で傾いた家屋が残っていた。
 臨時駐車場に指定されている小高区役所に車を止め、小高駅から商店街を歩いてみた。


私はひなびた商店街が好きで、福島はそういう商店街の宝庫だ。小高の商店街はまだ復興の途についたばかりだが、アンテナショップ希来(きら)、東町エンガワ商店、小高商工会館などの拠点ができていた。

 竜田さんは小高駅の近くで営業している浦島鮨という寿司屋に入って「ここおいしいよ」とツイートしてくれていたが私は気づかず、サンマートの裏手にある小高川で釣りに熱中していた。婚姻色の出たカワムツが釣れた。

 日暮れの頃、小高川べりの道路に集まって花火を待った。花火は小高川の一本北側にある前川べりにセットアップされていた。
 南相馬に移住した柳美里さん一家も来ていて、竜田さんに紹介してもらった。柳さんの話では、小高川には希少な水生昆虫がいるとのことだった。

 19時頃、神主さんが祝詞をあげると、遠くの道沿いにかがり火がともされた。火の祭りは騎馬行列が帰るとき、沿道に提灯などの明かりをともしたのが始まりだそうな。

 そして目の前で打ち上げられた花火はすごい迫力。距離が近いせいか、音楽にあわせた創作花火もきれいにきまった。竜田さんもしきりに歓声を上げていた。
 柳さん一家は終電が近いとのことで、終了間際に急いで帰っていった。近くに車を持ってきていたので、お送りすればよかったと後悔している。
 竜田さんと別れ、私は道の駅南相馬の駐車場で車中泊した。明日はルート6を南下して川内村に行ってみる予定だ。
(つづく)