野尻抱介blog

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福島紀行2013・8 南相馬編


 この夏も福島を旅してきた。震災後の福島(および宮城)旅行は5回目になるが、うち2回は下記blogでレポートした。
 ・東北紀行(1) ガイガーカウンターを持って福島へ
 ・東北紀行(2) 桜の山と瓦礫の海
 ・人でなしの福島紀行(前編)
 ・人でなしの福島紀行(後編)

 今回は往復太平洋フェリーを使って仙台まで行き、現地ではマイカー移動した。
 左は入港中のフェリーから撮影した仙台港の北側、震災で炎上したタンクのあったあたり。かなり復旧しているように見える。(2013年8月23日)


 仙台港から県道10号線を南下する。海岸に近い道路で、津波被害の明暗を分けた仙台東部道路の海側を通っている。田畑や住宅はほとんど消えたままで、草地になっている。
 左の写真に写っているのは防潮堤を兼ねた新しい道路の断面を示すオブジェ。

 福島では行き当たりばったりに動き回るのだが、今回は24日、南相馬市鹿島・さくらホールで開催される「小高区なつまつり」というPTA行事に出る用事があった。宿はその関係者に教えてもらった「ホテル叶や」にした。叶やはもともと小高区にあったのだが、現在は原町区に移転して写真のようなプレハブ仮設で営業している。利用するのは復旧作業員やボランティアが多いようだ。

 部屋は清潔で、Wi-Fiによるネット接続もできる。
 ここで周囲の地理を整理しておこう。南相馬市は北から鹿島区、原町区、小高区という三つのブロック(市街地)があり、かつての鹿島町、原町市、小高町平成の大合併でひとつになった。南北はこの3ブロックに分けて考えるとわかりやすい。
 もうひとつのポイントは東西を分ける国道6号線だ。市を南北に貫くように国道6号線が通っているのだが、平野部で6号線の海側はおよそ津波被災地と思ってよい。津波が山側に及んだところもある。
 大雑把にまとめると、東西で津波災害の有無があり、南北で原発災害の程度が変わる。空間線量はどこも0.2~0.3μSv/hぐらいで、普通に暮らせるレベルなのだが、行政の扱いが変わるからだ。

 この6号線を南に向かって進むと、鹿島、原町、小高で様相が変わるのがわかる。
 鹿島区は相馬市の延長にある感じで、震災前からの市民生活がかなり継続している。写真は鹿島駅
 原町区は昨年4月まで、福島第1原発の北側で立ち入り可能な最前線にあった。現在でも閉店している店が目立つが、相馬野馬追祭りが復活するなど、明るい材料もある。地区の中心にある常磐線原ノ町駅までは相馬駅からの列車がピストン運行している。
 小高区は2012年4月まで警戒区域の中にあったので、一時は全員が避難した。警戒区域解除直後の5月にここを訪れたときは倒壊した家屋がそのまま残っていた。日中は立ち入り可能になったが、いまも宿泊はできない。現在の指定は避難指示解除準備区域である。(どうでもいいが今回の原子力災害における災害区域の設定はまことにややこしく、地元の人でもすらすら言えないことがある)

 今回の小高区なつまつりは、その小高区にあった小学校のPTAが開催したものだ。避難した児童とその父兄が、里帰り的に鹿島区の公民館に集まる形になる。
 PTAイベントとしては気合いの入ったもので、JAXAの協力で宇宙開発関連の展示を行った。はやぶさプロジェクトで知られる川口淳一郎教授が講演する。私の出番はというと、川口教授と15分ほど対談するだけだが、福島を旅するついでもあるので、喜んで参加させていただいた。

 小高区なつまつり当日、9時頃の会場前。好天に恵まれ、多数の父兄が集った。

 ペットボトルの打ち上げ大会。装置はJAXA宇宙教育センターのものらしい。

 宇宙服の試着コーナー。

 『宇宙兄弟小山宙哉氏の色紙。

 地元の名物。福島の食べ物はどれもうまいので、すべて復活するといいのだが。

 講演会のリハーサル中。川口先生はiPadを使っていた。
 対談では、はやぶさ帰還にまつわるエピソードを、動画を再生しながら語らった。講演もはやぶさプロジェクトにからめて、平易かつユーモラスに語られた。「できない理由は探さない。(できる理由を探そう)」というメッセージが心に残った。

 講演のあと給食の試食があり、カレーをいただいた。早野龍五先生の苦心の甲斐あって陰膳検査が行われており、日本一安心して食べられる、自慢の給食だ。
 それからバス2台で国道6号線を南下して小高区の視察に向かった。

 国道6号線、海側の風景。津波被災地の典型的な風景だが、耕作を再開しようにも出荷制限があって厳しい状況だ。

 小高区の市街地。あちこちで復旧工事が行われている。
 倒壊した家屋はほぼ撤去されていた。来年春には水道が復旧する予定、とのこと。人が戻らないと復旧が進まない/復旧が進まないと人が戻らない、というジレンマがある。

 小高区にあった民間のボランティアセンター、通称松本ボラセン。
 バスは小高区の中心部を一巡してさくらホールに戻った。私はほんの脇役だったが、主催者の方から花束やおみやげなどをいただき、大変よくしていただいた。

 イベント終了後、近くの潤谷川で釣りしてみた。川の真ん中に建物の一部が転がっていて、魚影が見えたので狙って振り込んでみたのだが、釣れなかった。
 釣り道具店を二軒見かけたので寄ってみると、普通に営業していたが、生餌は仕入れてなかった。

 道の駅南相馬で買った名物よつわりパン(原町製パン)とすあま(栄泉堂)。福島の菓子類は甘党の私には嬉しい。

 同じ場所で買った自費出版の本。道の駅のすぐ北側に、大正期に建造された東洋一の巨大な長波無線塔があった。国際長波通信はすぐに短波通信に変わって無線塔は不要になり、1980年代に撤去された。現在は1/20スケールの記念碑が立っているのだが、それを知ったのは旅の後で、気づかずに通過してしまった。


 夕食は原ノ町の駅前商店街にある大亀屋で海鮮丼と牡蠣フライをおいしくいただいた。店はよく繁盛していた。
 時間が遅くて入れなかったが、同じ通りにまちなかひろば というスポットがあって、屋台村やオフィススペースが集まっている。

 原町はやはり最前線の街で、高濃度汚染水漏れがあったせいか、ちょっと意気消沈したような空気も感じた。放射能汚染は(私に言わせれば)無いに等しいレベルで、福島市郡山市より低いぐらいなのだが、原発に近いので何かあったら緊急対応しなくてはならない。
 それでも、復旧・復興に向けてしぶとく活動している人がいるし、普通に暮らしている人がいる。そして音楽や芸術などの文化活動、趣味に精を出す人がいるのは心強いことだ。