野尻抱介blog

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俺の妹がHarpoon4をやるわけがない――能登半島沖不審船事件編

 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』というアニメを楽しく観ている。学力スポーツともに優秀で容姿端麗な妹が、実はエロゲマニアだった、というシチュエーションである。そんなことが実際にありうるのか、Twitterで聞いてみたところ、あり得ないことではないらしい>女性が楽しむ男性向けエロゲとは - Togetter

 そんな「俺の妹」でも、さすがにこれはやらないだろうな、と思うのが『Harpoon4』だ。
  二つ前のエントリで紹介した現代海戦ゲーム『ハープーン』の現行バージョンである。前にプレイしていたのはGDW版で、すでに充分複雑なルールだったが、このHarpoon4はそれに輪をかけてややこしい。GDW版をベースに、マニアがよってたかって納得のいくものに仕立て上げた感じだ。おかげでプレイアビリティは著しく低く、ネットで観測した限り、国内に現存するプレイヤーは数人程度と思われる。「凝りすぎて自滅した大作ウォーゲーム」の典型、究極のマゾゲーといえよう。しかし、一度Harpoon4のシステムに触れると、もう後戻りはできない。それが完全ではないとしても、この域にあらねば現代海戦の再現にならないと思えるからだ。以下にその例を紹介しよう。

 ルールブックのはじめのほうに、練習シナリオのプレイが例示されている。ペルシャ湾アメリカのフリゲイトがイランのミサイル艇と戦うという、GDW版とよく似た状況だ。だがこのシナリオでは、まず艦載ヘリが発進して敵を確認する。船とは挙動が異質で扱いにくい航空機が最初から登場するのである。
 航空機を扱うにあたっては、まず「ミッション立案」というルール体系があって、搭載装備、搭載燃料を決め、燃料消費率から航続距離を割り出してミッションを計画しなければならない。飛行中も巡航速度かフル・ミリタリー速度かを記録して燃料消費を割り出さなければならない。……が、ちょっとパトロールに出る程度なら省略してもいいだろう。
 では艦からヘリを発進させてみよう……とすると、こんなルールに出くわした。

(1) 海況4以上では安全に離発着できない。海況が安全範囲をひとつ超えるごとに発着失敗の確率が20%生じる。ただし艦のサイズ、スタビライザーの有無による補正を受ける。

(2) 後部にヘリパッドを持つ艦からの発進は、右舷前方30度より30ノットの風を受けなければならない。

 この(2)が曲者だ。風下にできる乱気流を避けるためだが、必ず右30度と決まっているらしい。このルールはGDW版からあって、ずっと気になっていた。本当にこんな面倒な縛りがあるのだろうか? Googleの画像検索やYoutubeの動画では、このルールにそって発着している場面は必ずしも多くない。



夏に護衛艦しらねを見学したとき、ヘリパッドにいた隊員に聞いてみたが「はい、そういう決まりありますよ」という返事だった。「右舷側って決まってるんですか?」と念を押すと「ええ、そうですね」と、なんとなく曖昧に答える。それ以上問い詰めるのは遠慮した。
 海自艦も米軍艦も、ヘリパッドの右舷前方に、甲板にめりこんだようなガラス張りのLSO(Landing Signal Officer)管制室がある。ここに入った誘導員は、右舷30度に向いたヘリと正対する形になる。

左の写真はたかなみ型護衛艦のプラモデルだが、ヘリパッドと格納庫の間にある犬小屋みたいなものがLSO管制室だ。格納庫に付属するタイプの管制室も右寄りにある。ただしヘリパッドには左右に30度の線がマーキングされているから、左舷向きに発着することもあるのかもしれない。
 ともかくルールに従うことにしよう。操船によって右舷30度の風をベクトル合成するわけだが、ルールブックには「そうしろ」とあるだけで、解決方法が載っていない。至れり尽くせりのコンピューターゲームとは大違いだ。Twitterで愚痴りながら中学時代の数学の記憶をたぐっていると、タイムラインにいた先生方から「二次方程式を立てて余弦定理を解け」「arcsinのついた電卓ならできる」と教えられた。また、三角関数つきの計算尺でも解ける。

 まず「30度で30ノット」のベクトルを前後と左右に分割する。
 30 * cos(30) = 26 前後方向の速度
 30 * sin(30) = 15 左右方向の速度
 arcsin(15 / 風速) = オフセット角
 艦の速度 = 26 - 風速 * cos(オフセット角)
 艦の針路 = 風向 - オフセット角

 計算手順はわかったが、任意の風向・風速に対して、いつでも右舷30度から30ノットの風を合成できるわけではない。解の範囲は15ノット〜30ノットの風になる。15ノットの風なら風向の左90度に26ノットで前進する。風速30ノットの場合は停船して船首を風向の左30度に向けるだけ。それより風が強い場合は艦を逆進させればある程度対応できるが、そこまでやるかどうかは不明だ。また、風が弱いぶんには乱気流も弱まるだろうから、風向だけ合わせるのではないだろうか。ヘリコプターは無風より、前方からほどよく風を受けているほうが安定して離着陸できるものだが、無風じゃダメというわけではないだろう。
 というわけで、以上の想定から次の手順を加えておく。
 風速が15ノット未満のときは、オフセット角90度、艦の速度は風速のルート3倍。

 また、(1)の海況もこの問題にからんでくる。「スタビライザーが効くのは速度8ノット以上」というルールがあるので、海が荒れているときは速度を落とせないケースがある。後部ヘリパッドからヘリを発着させるのは、陸上なら可能な天候でも不可能な場合があるわけだ。

自衛隊指揮官 (講談社+α文庫)

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 さて、上の本によると、能登半島沖不審船事件のとき、この艦載ヘリ発着手順が問題になったとある。
 1999年3月23日、能登半島沖にいた二隻の不審船をP-3C哨戒機が発見し、海自と海保の艦船がこれを追跡した。不審船は35ノットの高速を出し、海保の巡視艇は振り切られてしまう。護衛艦はるなはついていけたが、Harpoon4の資料では最大速度31ノット、Wikipediaでは「31ノット以上」とあるから、この数値だけの比較では負けている。さらに護衛艦はるなは追跡中に艦載ヘリを発進させた。発着条件を満たすために回頭したせいで、かなり水を開けられてしまったという。
 詳細は記述されていないが、(2)のようなルールは実在するのだ。一刻を争うチェイス中でも無視しないほど厳格なものらしい。ヘリ発艦にともなうロスはどれほどだろうか?
 練習シナリオはひとまずおいて、このシチュエーションをHarpoon4で再現してみることにした。日本、韓国、中国など、アジア周辺の艦船データは1996年までのものならSea of Dragons サプリメントに載っている。事件の詳細な資料を持ってないので、船のコースや時刻は推定だ。

当日1999年3月23日の風は佐渡・相川のデータをもとに、海況2、風向西南西、海上の風速を2倍として10ノットとした。チェイス開始は佐渡島西方で15時00分、針路は350度とする。不審船の捜索が始まった前日は大荒れだったが、この日は穏やかな好天だった。


 「第一大西丸」と称する不審船(35ノット)の後方5NMに護衛艦はるな(31ノット)、その西に巡視艇ちくぜん(23ノット)を配置する。比較のため、はるなと同じに位置に、等速で進むだけのユニットもつけた。(NM=海里=1.85km)


 15時30分。ちくぜんが引き離されている。佐渡を中心とした同心円の間隔は10NM。


 15時31分16秒。はるなが艦載ヘリを発艦させるため方位158度に回頭し、速度を20ノットに落とす。風向が最悪で、ほとんど正反対の向きに進むことになった。回頭のルールはGDW版だと1ターンに何度、と決まっているだけだが、Harpoon4は回頭にともなう前進距離を基準にしていて、これがまた、リアルなのだがややこしい。このサイズの艦だと「標準舵角の場合、300ヤードごとに45度以内で回頭できる」。この場合は面舵で168度だから「45度以内」を4回、合計1200ヤード進むことになる。45度ごとに2ノット減速するが、どうせ減速しているので問題にならない。29ノットで300ヤード、27ノットで300ヤード……と時間を積算していくと76秒になった。
 操舵には標準舵角のほかに緊急舵角というのもあって、これだとさらに急回頭できるが、5%の確率で舵が損傷する。今回のケースでは、そこまではやらないと判断した。
 ヘリ発艦は1ターン30秒の交戦ターンを使い、ターン終了時に高度100mで風向に向かって最高速度の1/4で前進する状態になる。
 Harpoon4では中間ターン(30分)、戦術ターン(3分)、交戦ターン(30秒)と三つの時間区分を使い分ける。距離の単位も海里、ヤード、メートルとあってややこしい。
 なお、今回はヘリ発着にともなうロスの再現なので手を抜かずにやったが、そうでなければもっと簡単にすませてもよい。ルールブックの例では戦術ターンのまま、ざっくり進めている。重要でないことは省略することもルールのうちで、このあたりが非電源系ゲームの面白いところだ。

 15時39分、ヘリSH-60Jは巡航速度100ノットで不審船に追いつき、撮影を開始する。このときの映像が、当時TVで繰り返し流されたものだ。ヘリは10分間不審船につきそう。


 16時00分、ヘリがはるなに戻り、はるなはまた逆走してヘリを着艦させ、針路を350度に戻した。比較用ユニット(「___」と表示)に較べると3.6NM遅れている。


 もし左舷30度の風でもOKならヘリ発着時の針路は338度で、本来の針路から12度しか逸れない。これならほとんどロスしなかったはずだ。そう思って、これもシミュレーションしてみた。比較用ユニットとの差は1.9NM。右舷30度発着との差は1.7NMで案外少ない。いったん20ノットまで減速し、ヘリ発着後に最高速度まで戻すところに多くのロスがあって、回頭方向については思ったほどの差がなかった。ロスはおよそ半減するが、左舷側にもLSO管制室をつけるほどではないかもしれない。

 ヘリ発艦が危険になる海況を選んで行動する戦術はどうだろうか? はるなはヘリ空母の性格をもつ艦なので、デュアル・フィンスタビライザーを装備している。サイズは中型で、海況安全度の補正は3、つまり海況6までは安全に発着できる。天候のランダム生成ルールで海況7以上になる確率は5%しかない。
 艦船自体も海況の影響を受ける。その度合いはサイズによって決まる。はるなは中型なので、海況7では最大速度が半分になる。不審船は小型なので、この海況だと停船しなければならない。

 シミュレーションは3月23日の16時で終了したが、史実ではここからがクライマックスだ。護衛艦を振り切ったと思い込んだのか、不審船は夜半頃になって停船し、はるなが追いついてしまう。そこで自衛隊発足以来初めての海上警備行動が発令された。はるなとP-3Cからの威嚇射撃が始まると不審船は逃走を再開し、翌朝6時、防空識別圏を出たところでチェイスは終了する。
 この事件がきっかけで海保、海自とも新しい高速船が導入された。駆逐艦クラスの艦ではこういう非対称戦に向かないのだろう。
 不審船側から見れば艦載ヘリが飛ぶかどうかは重要な問題にちがいない。艦船だけなら引き離しつつあるのに、ヘリが飛び立つと数分で目の前にやってくる。ヘリの発艦条件を知っていれば一手先を読んで対処できるだろう。たとえば、発艦に不利な方位に逃げるといった戦術が考えられる。能登半島沖不審船事件がほとんどワーストケースだったのは、偶然ではないかもしれない――というのは考えすぎだろうが、シミュレーションからそう考える材料が得られたのは面白いことだ。
 まるで帆船時代の戦闘みたいだと言った人がいたが、ハイテク満載の現代軍艦がわずかな風に翻弄されるのは意外だった。護衛艦しらねの隊員が言葉を濁したのはこんな理由かもしれない。