野尻抱介blog

尻Pこと野尻抱介のblogです

フロリダ紀行/打ち上げ当日編


 4月4日、山崎家のパーティーが終わってモーテルに戻り、少し仮眠を取った。打ち上げはその夜から行動開始で、JAXA招待組は午前3時にココアビーチのホテルに集合する。
 我々はnecovideoさんの機材を手分けして運んだ。天体望遠鏡を連結した倍率200倍以上の超望遠カメラもあったが、これを抱えてバスに乗り込んだらNASAの女性職員に「バイブレーションを撮影するのね!?」と大笑いされた。私もこの倍率は高すぎると思っていたが、それを一目で見抜くとはさすがNASA職員だった。




 連れて行かれたのはASVC(アポロ・サターンVセンター)に隣接したバナナクリーク・ビューイングサイトというところ。射点からの距離は6kmで、報道陣が陣取る場所より数百メートル遠いだけだ。いくつかに区分けされた観覧席があって、北端のブロックはクルーの近親者専用になっていた。
 山崎さんの応援団は横断幕や寄せ書きの入った日の丸を掲げて気勢を上げていた。私は見逃したが法被姿の一団が「NASA音頭」を披露したりもした。空は快晴で、沖天に半月が明るく輝いていた。


 6時5分頃、「ISSが上空を通過する」というアナウンスが入って、明るい光点が南西の空から近づいてきた。これが半月と重なったのはひとつの奇跡で、大歓声が上がった。そしてISSは赤らんだ東の地平線に消えた。
 もちろんシャトルはこれからISSに向かうのだから、打ち上げ15分前にISSが通過するのは奇跡でもなんでもない。軌道面が同一で、シャトルは低いところから接近するぶん軌道速度が上がるので少し遅らせて打ち上げるわけだ。だが、この「あたりまえ」をこれほどわかりやすく示せる場所は地球上でここしかない。山崎夫妻との出会いを含めて、さまざまな奇跡が重なってこの場に来ているのだ、と思ったものだった。



 私は観覧席には座らず、いちばん前のフェンスにかぶりついた。ロケット打ち上げに際しては記録よりも体験重視なのだが、今回は高品位の録音に挑戦してみた。生録用のコンデンサーマイク RODE NT4をUA-25EXオーディオインターフェースにつなぎ、24bit 96kHzで記録した。
 悪くない装備だと思うが、不慣れゆえ録音は失敗だった。初期設定で録音レベルが高すぎ、ロケットどころか周囲のヤンキーどもの歓声だけでレベルが振り切ってしまっている。あわてて調整したらこんどはレベルが低すぎたようだ。一部を切り出して未加工のままmp3に変換したものがこちらに置いてある>http://njb.virtualave.net/web/rl2010/sts131mp3a.mp3





 音速を340mとすると、6km離れた観覧席に届くのは18秒後。観客が見ているカウントダウンクロックは音速の遅れなしで動いている。カウントゼロから爆音が届き始めるまで12秒で、これはT-6秒のメインエンジン点火のタイミングだ。シャトルはまだ発射台上にいて、ウォーターカーテンに向かってSSMEの噴射を叩きつけている。カウントゼロで固体ブースター(SRB)に点火され、シャトルは離床する。観覧席では18秒後で、衝撃波に起因するバリバリ音が聞こえ始めるのはここからだ。音だけでなく顔や体にも圧力を感じるが、これは衝撃波そのものではなく、それによって引き起こされた音速の空震だと思う。

 打ち上げから2分後、高度45kmぐらいでSRBが分離される。赤い蝋燭のようなものが回転しながらゆっくり離れてゆくのが10倍の単眼鏡でよく見えた。SRB分離を撮りたければこの倍率で充分ということだ。
 このときも大歓声が上がったが、これは観客がSRBの危険を知っているからだろう。チャレンジャー事故はSRBから漏れた噴射ガスが外部燃料タンクを炙ったためだった。

 SRBを分離したあたりからロケットの仕事は「空気の薄いところまで上昇する」から「軌道速度を得る」に重点が移る。三基のSSMEは液酸・液水エンジンで、燃焼ガスは透明だが金星のように明るく輝いて見える。これは燃焼ガスがプラズマ状態にあるときの光だろう。写真にも淡く写っているが、シャトルの後方に三本の巨大なプリュームが現れる。たぶん燃焼ガスの水蒸気が冷えて生じた「雲」だろう。


 SRBの噴射ガスは濁っているので濃い航跡ができる。この航跡の最高部は高度45kmだから、だいたい成層圏界面と呼ばれる領域だ。時刻は地方時の6時半頃で、地上はまだ暗いが上空は夜明けを迎えていた。そんなわけで高いところ(写真では左下部分)から先に航跡が白く輝き始めた。気づいた観客がまた歓声を上げた。アメリカ人はいちいち反応が大きくて面白い。プレス席よりもこちらの観覧席のほうが臨場感が味わえるのではなかろうか。


 というわけでシャトルが軌道速度に達するまでじっくり見てしまったのだが、案内のNASA職員からは「このバスは早期に出られる位置に駐まっているので、SRBの燃焼が終わったらバスに戻ってください」と言われていた。ここまで来て、そんなNHKの中継みたいな味気ないことができるか、と思ったわけだが、実際にバスが発車したのは打ち上げ20分後ぐらいだった。
 シャトルの航跡は夜明けの空で刻々と姿を変えながら、一時間以上見えていた。翌日のフロリダ・トゥデイによると、今回の打ち上げの爆音はいつもより広範囲に響いたらしい。それは気のせいではなく、大気の温度境界層の影響ということだった。

フロリダ紀行/打ち上げ前日編



 4月4日、打ち上げ前日、JAXA招待枠の見学者は指定されたホテルに集合した。元ライブドア榎本大輔さんがいてびっくり。Twitter宇宙クラスタの面々もいる。


 それからバス6台を連ねてKSC(ケネディ宇宙センター)に移動した。周囲は地平線まで湿原とクリーク、ラグーンばかりで、ワニを二頭見かけた。


 ビジターセンターからバスツアーでASVC(アポロ・サターンVセンター)に移動する。途中、巨大なVAB(ロケット組立棟)の横を通った。VABのそばにアレスロケットの整備塔が置いてあったが、そのときはVABと較べたせいでとても小さく見えてしまい、そうと気づかなかった。



 ASVCはアポロ計画の偉業を見せつける場所で、なかなか圧巻だった。アポロ時代の管制室の一部が移設されており、その先にサターンVの実機が横たわっている。サターンVはジョンソン宇宙センターで見ているが、やはり鳥肌ものだ。スペースシャトルの1.5倍の質量を液体燃料ロケットだけで持ち上げたのだからたいしたものだ。

 本来なら半日ほどKSCを見学して過ごす予定なのだが、自分を含む半数ぐらいの人は午後2時から山崎家主催のパーティーに出るので、あまり時間がなかった。バスでホテルに戻り、レンタカーでパーティーに向かう。会場はカナベラル港のほとりにあるレストランだった。
 パーティー会場は大にぎわいで、いわゆる宇宙マニアだけではなく、いろんな種類の人がいた。山崎家ゆかりの人や地元の応援団みたいなグループもいて、雰囲気は結婚披露宴に似ている。ピアニストや宇宙飛行士の星出彰彦さんも来ておられた。

 山崎大地さんと優希ちゃんは終始人垣に囲まれていたが、どうにか挨拶できた。「おめでとうございます。とうとうここまでこぎつけましたねー」「いやあまったく!」みたいなやりとりになった。大地さんと知り合ったのはロケットガールのアニメ化作業が本格的に始まった頃だから、2006年暮れのことだ。『宇宙主夫日記』を読めばわかるとおり、修羅場の最中だった。



 テラスに出ると豪華客船がすぐ横を通って出港していくのが壮観だった。バナーを曳いた軽飛行機も旋回している。


山崎直子さんの等身大パネルがあったので記念撮影する。



 NVS(necovideoさんと渋矢さん)はここでもニコ生をしていた。星出さんとともに出演できたのは一生の思い出になるだろう。星出さんは宇宙飛行士になる前から、ニュートンなどに解説記事を書いていた。とても読みやすい文章で、「へえ、NASDA内にこんな人がいるんだな」と思ったものだった。


 ノートパソコンでニコ生を見ている女性がいたので話しかけてみると、ドワンゴの人だった。公式ニコ生中継のために三人で来ているという。NVSの二人を引き合わせたところ、もし技術的に可能なら、打ち上げ中継でNVSの映像も使いましょうという話になった。実に臨機応変で機敏なものだ。


 もちろん普通のマスコミもたくさん来ていて、「テレ東以外の在京キー局は全部来ている」とのことだった。

フロリダ紀行/ココアビーチ編

 山崎家よりスペースシャトルSTS-131の打ち上げ見学に招待されたので、4月のはじめ、フロリダに行ってきた。恥ずかしながらケネディ宇宙センターに行くのは初めてである。というか海外でロケット打ち上げを見るのも初めてだ。
 はるばる海外まで行って、打ち上げ延期になったりしたら悲しい。だが日食と同じで、機会あるごとに行ってみなければ永久に見られない。招待枠で見学できるなんてもうないことかもしれないから、思い切って行ってみたのだった。





 オーランドに着いたのが4月2日の夜で、空港でレンタカーを借りてカーナビも地図も持たずに東に向かって走った。ハイウェイから一般道に降りてしばらくさまよったあげく、コンビニで地図を買い、デニーズに入って店員に「私はどこにいますか?(Where am I?)」と訊いた。「いい質問だね。ええと……ここだよ」と示されたところはメリット島の中だった。東へもう少し走って予約したココアビーチのモーテル6にたどり着いた。
 翌朝、隣のワッフルハウスでこってりした朝食を取って、ビーチに出てみた。『ザ・ライトスタッフ』で宇宙飛行士たちが走り回った場所だ。北のほうを見ると、空軍基地のロケット発射台が見える。砂は白っぽくて、きゅっきゅっと鳴る。その照り返しが強いので、この季節でもかなり暑い。
 波打ち際では投げ釣りする人がいて、見ていると小さなエイが釣れてきた。外道だったらしく、鉤を外して海に返していた。砂が濡れて締まったあたりはジョギングする人が行き来している。
 上空を見ると、パイパーカブみたいな飛行機が巨大なバナーを曳航して行き来している。砂浜の規模はうちの近所の海岸と大差ないが、アメリカへ来たなあ、としみじみ思った。

 昼頃、今度は無線機を持ってビーチに出た。アメリカと日本はアマチュア無線の相互協定があって、届け出をしなくても自由に無線運用ができる。フロリダではW4/をコールサインの頭につければいい。
 ビーチに出る回廊の手すりに自作のVCHアンテナを立て、キットから組み立てたPFR-3トランシーバーをつないだ。7MHzのCW(モールス)でしばらくワッチしてみる。
 そばを通りかかるアメリカ人たちが「何をやってるの?」と訊いてくる。「へム・レディオ」と答えるとすぐわかってくれる。
 アメリカで無線運用するのは二度目だが、モールスは日本のように「599 BK」ばかりではなく、平文に近い英文で丁寧にリグやアンテナなどの情報を交換する。モールスだけでも大変なのに英文をやりとりするのは大汗をかく作業だが、それで意思疎通できたときの面白さは格別だ。あとで思い出すと日本語の声になって再生されるのが不思議で、言語機能の不思議が味わえる。
 VCHアンテナはコンパクトで携帯向きだが、ちょっと神経質なところがある。電波がよく飛ぶときもあれば飛ばないときもあり、まだコツがつかめない。CQを出している局を呼んでみるが、応答がない。

 そうこうしていると「やあ、無線かい? 私もハムだよ。CWは2年ほどやってないがね」と声をかけてきたおじさんがいた。
「ほんとですか。私はジュリエット・ケベック・ナンバーツー・オスカー・ヤンキー・チャーリーです」「こっちはキロ・アルファ・ジーロ・キロ・シエラ・タンゴ、フィルだ。ミネソタから来てる」
 と、フォネティック・コードコールサインを交わす。
 スペースシャトルの打ち上げを見に来たと言うと、
「私もだよ。私はSTS-131のクルー、クレイ・アンダーソンの兄だ。今朝もいっしょだった」という返事で驚く。
 彼のハンディビデオを見せてもらう。KSCから飛ぶ宇宙飛行士たちとその家族は、打ち上げ前、「ビーチハウス」と呼ばれる海岸のコテージですごし、しばしの別れを惜しむしきたりがある。それが今朝のことで、山崎夫妻も写っていた。
「直子? ああ、あのちっちゃくてきれいな人だね」と、フィル。
 彼は夫婦で来ていて、打ち上げ後はよその州に移動し、二週間後の着陸のとき、またここに来るという。宇宙飛行士の家族がうろうろしているとは、さすがココアビーチだなと思ったことだった。



 午後、401号線を空軍基地に向かってドライブしてみる。豪華客船が居並ぶカナベラル港の横を通り、広大なバナナ河の向こうにKSCの施設がちらほら見える。写真でよく見る、湿って白く散乱した光の感じはそのままだ。路肩に車をとめて周囲を観察すると、一面に咲いたヘビイチゴの花を蜜蜂がめぐっていたり、水辺にカブトガニの死骸が転がっていたりする。
 一服していると、パトカーに先導されて左側車線をそろそろと逆走してくる大型トレーラーを見かけた。側面にSPACEHABとあるから、中身はこういうものだろう>http://www.spacehab.com/business-units/spacehab-trans

 夕方、モーテルに戻ると、Twitterで知って合流することになったnecovideoさんと渋矢さんが来ていた。オーランドから走ってきて空腹だというのでワッフルハウスで食事して、またビーチに出た。さっそくニコ生が始まる。初めての大西洋ということで、大いに盛り上がったのだった。

京都で等身大初音ミクに会ってきた

 3月27日、NT京都(ニコニコ技術部京都勉強会2010)に行ってきた。「勉強会」というのは当初、IT勉強会のスタイルを取ったためだが、オフ会と展示会と発表会と即売会を合わせたようなお祭り、ショーである。
 今回の新機軸として、主催者のakira_you氏が打ち出した「招待展示」がある。
 これまでは出展者による自発的な意志と持ち出しで展示を成立させていたのだが、すべて当人の負担ではいつか息切れする。だから展示物にカンパする慣行を作り、さらにみんなが見たがるような作品を費用全額負担で招待しようというものだ。
 そして招待されたのが、みさいる氏の2年がかりの労作『等身大初音ミク』である。
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 なにしろ等身大で、しかも脆弱な構造なので輸送が難しい。分解して宅配便で送るのでは展示時の動作が保証できないということで、千葉から京都までマイカーに座らせて運ぶことになった。
 輸送にはNKHニコ生放送局が全面協力し、その様子を逐一ネット中継した。http://enjoynicolive.com/wp/982である。展示は土曜だが、輸送は木曜夜から始まった。直前にNHKの番組『MAG・ネット』の取材があり、出発は金曜早朝にずれ込んだ。金曜の15時頃、茨木のホテルにチェックインし、夜になってから会場の京都西院、春日神社に搬入された。

 NT京都当日、等身大ミクはまず神社境内の撮影会でお披露目された。ミクは早坂氏提供のスポーツカーの助手席に座らされている。じゃんけんで勝った順に一人3分間、ミクとツーショットの撮影機会が与えられ、境内は自分の番を待つ人々で賑わった。
 なお、撮影会が終わってから、早坂氏が気になることを言っていた。
「助手席を見たら、ビスが一本落ちてたんですよ……」


 16時から、本イベントのトリとしてステージでライブが開かれた。ステージ上での準備作業に長い時間がかかったが、無理は承知なので観客は辛抱強く待ち、歌に合わせて両手を動かすミクに喝采を送った。アンコールがかかってミクは再登場したが、稼働させるまでにまた長い時間がかかった。アンコールは想定外だったので、立ち上げ作業を一からやりなおすことになったらしい。

 ライブのあとで楽屋に行ってみると写真のようなありさまで、シャッターを押す直前までみさいる氏は居眠りしていた。顔に使われているゲル素材の断片を見せてもらったが、羽二重餅のようで、ものすごくよく伸びる。あの巨眼を皺ひとつなく開閉させるのだから大変である。この素材の取り扱いは非常に難しいとのことだった。


 翌日VOCALOID PARADISE 3での展示のため、ミクは解体されず、慎重にお姫様だっこされて会場を離れた。

 等身大ミクを目の当たりにして、私はすぐに、これがみさいる氏の部屋から引っ張り出す価値のあるものだと悟った。だが白状すると、それまでは揶揄する気持ちが皆無ではなかった。同じように思っている人は少なくないだろうから、以下に説明を試みよう。わかりきった話かもしれないが、念のためだ。
 等身大ミクはHRP-4Cのようなリアリズムを指向せず、あえてアニメ顔・フィギュア体型のままで作られている。それでいて等身大だから、人が存在するどんな場面とも置換できる。椅子に置けば座っているように見えるし、床に横たえれば寝ているように見える。等身大ミクが置かれた場所は、そこだけ現実が切り取られ、架空世界に置き換わる。これは二つの世界を橋渡しするインターフェース装置なのである。
 このインターフェースが意味を持つためには、あらかじめ架空世界に充分な構築がなければならない。万単位の人間が日夜構築を続けている初音ミクほどふさわしいキャラクターはいない。皆が等身大ミクを見たがったのは、「俺のミク」がそこに現れるのを確かめたかったからだ。「俺のミク」は人それぞれ異なるが、それを一体のモデルに重ねられるところが初音ミクの面白いところである。
 そして製作途上ながらも声と可動部を持つこと、製作者がそこにいることが、ただのマネキン人形とは異質な緊張感を与えている。このミクはいろんな意味で動的である。動的な存在は、見る者に緊張を与える。緊張は退屈の反対であるから、アートにおいては良い意味になる。

 等身大ミクは決して「代用品」ではない。この世にないから作られたのである。だが、この作品のセクシャルな面をとらえて「そんなものに熱中してないで、はやく嫁さんもらえよ」という声もあるだろう。
 ハインライン御大の言葉「結婚して子供を育ててこそ一人前の男だ」を思い出す。その通りだと思うが、大きなお世話だ。
 私に言わせれば、一人前じゃない者がのうのうと生きられてこそ、真の文明社会である。さらに言えば、子孫を残すばかりで文明の発展に寄与しない者が一人前に含まれ、その反対が半人前と呼ばれることは、この評価軸そのものが取るに足らないことを示している。世の理工系オタク達はこうした「半人前コンプレックス」にとらわれず、誇りを持って我が道を進んでいただきたい。
 とはいえ、人どうしの恋愛も素晴らしいものであるから、私はみさいる氏にもいい出会いがあることを願っている。彼は(手入れさえすれば)爽やかな好青年だし、ボカロ界は男女比の偏りが少ない。技術部イベントは男性が目立つが、ボカロ系即売会ではほぼ半々になる。そんな場所でたとえば、こうしたものに理解のあるコスプレイヤーがみさいる氏とミクの間に割って入るような事態になれば、『電車男』より数段面白いストーリーになるだろう。ノベライズの話が出たときには、ぜひ私に書かせていただきたい。
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VOCALOIDをたのしもう Vol.4 (ヤマハムックシリーズ 48)

VOCALOIDをたのしもう Vol.4 (ヤマハムックシリーズ 48)

非実在青少年対策(転載)

 以下は mixi笹本祐一の日記 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1433296029&owner_id=209282 より転載。
============================================================
 えーつまり一文字タイトルにこだわってる場合ではない、ってことです。
 マイミクの日記より転載。さらに転載歓迎。許可を求める必要なんかありません。
 この人はライトノベル作家だそうだけど、まんが家、作家でも同じように威力があると思います。
−−−−−−−以下転載−−−−−−−
都議会議員の一部(←要するに民主党系列)に、メールを送ったと書きましたが。
……なんとある事務所の方から、いきなり電話が!
どこかは明かさないでください、とのことですが。なんと事務所で対応してくれたその人が、オタクだそうで。
ライトノベル作家さんからの声を初めてもらいました!」

とかなんとか。
で。
どうもその人が、今回の件について、反対派の中の一人だとゆーことで。

……これがちょっとややこしいんですが。そこの議員としては、スローガンを「子供がうんぬん」と掲げている以上、議会で反対がしにくい。
しかし、本心は反対である、と。

そこで、
「とりあえず民主党都議会議員に、メールではなくて、『封書』『ハガキ』で反対の意思を送りつけるのが効果的」
とのアドバイスをいただきました!

(※メールではダメだそうです。というのも、現在どこもメールが大量に届いていて、対応しきれないようで)

そして、実際に仕事をしている作家側の意見は、「ペンネーム」「メールアドレス」「住所」といったものに加えて、「個人ブログのアドレス」「出版社の名前」をそえると、さすがに無視できなくなるようです!
ただし、最も効果的なのは、やはり都内在住の方が「その選挙区の議員」に封書、ハガキを出すこと、だそうで。
(※封書の方が重みがあるそうです)
それ以外の方は、『民主党都議会議員』のサイトをチェックして、
「二期、三期当選の若手議員」
に送るのが、理解されやすくていいとのこと。
幹事長といった役職の人も、もちろん力があるのでいいそうです。
さらに……裏情報として。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/membership/number021.html
↑この人は「規制推進派」なので、意見送っても無駄、だそうです。こっそり教えてくれました。
……知らんかったから、メール送っちゃったよorz
とにかく、以上のような状況です!
「ぜひ広めておいてください。あと9日くらいしか時間がないので!」とのアドバイスですので、もしよければこの情報を作家さんの中で転載し、どうぞ広めてくださいませm(_ _)m

また、それとは別の議員さんから、メールの返信をさっそくいただきました。
「自分のような若い議員は反対だが、長老議員の中には『投票率の低い世代からの意見』としか捉えていない人もいる」
とのこと。
しかしこのように、きちんと意見を返してくれる方もいるので……ちょっとがんばってみましょう!
↓議員リスト。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/membership/electoral_zone.html


民主党都議会議員2〜3期者リスト」
■役員(13名)

●都議3期(※幹事長)
〒135-0004
江東区森下1-5-5-201
大沢昇 様
●都議3期(※幹事長代行)
〒115-0043
北区神谷1-28-8
和田宗春 様
●都議2期(※幹事長代行)
〒174-0071
板橋区常盤台2-1-15グリーンハウス101
くまき美奈子 様
●都議3期(※政策調査会長
〒190-0012
立川市曙町2-34-6-803
酒井大史 様
●都議3期(※政策調査会長代行)
〒107-0061
港区北青山3-3-7第一青山ビル2階
大塚たかあき 様
●都議2期(※政策調査会長代行)
〒113-0033
文京区本郷1-34-4桑山ビル201
増子博樹 様
●都議2期(※政策調査会副会長)
〒187-0032
小平市小川町2-1344-2阿部ビル101号室
斉藤あつし 様
●都議2期(※政策調査会副会長)
〒184-0004
小金井市本町1-6-2アリスビル1階
西岡真一郎 様
●都議2期(※政策調査会副会長)
〒154-0004
世田谷区太子堂3-18-3
山口拓 様
●都議3期(※総務会長)
〒203-0013
東久留米市新川町1-6-14貫井ビル101号室
山下太郎 様
●都議2期(※総務会長代行)
〒202-0015
西東京市保谷町4-6-21
石毛しげる 様
●都議2期(※総務会長代行)
〒180-0006
武蔵野市中町1-3-2ハウスプランニングビル402
松下玲子 様
●都議2期(※総務会副会長)
〒189-0014
東村山市本町2-12-8第1フジビル205
佐藤広典 様
■その他(16名)
●都議3期
〒110-0008
台東区池之端4-26-31
中村明彦 様
●都議3期
〒155-0032
世田谷区代沢1-5-14
花輪ともふみ 様
●都議3期
〒151-0073
渋谷区笹塚2-1-14スタープラザ笹塚4階
大津浩子 様
●都議3期
〒192-0046
八王子市明神町4-2-10タック八王子1002
相川博 様
●都議2期
〒162-0041
新宿区早稲田鶴巻町556フルヤビル2階
いのつめまさみ 様
●都議2期
〒131-0043
墨田区立花1-24-1-1009
小沢昌也 様
●都議2期
〒153-0042
目黒区青葉台1-2-6コートハウス青葉台201
伊藤ゆう 様
●都議2期
〒165-0026
中野区新井1-1-16 202号室
吉田康一郎 様
●都議2期
〒166-0015
杉並区成田東5-3-27
門脇ふみよし 様
●都議2期
〒171-0014
豊島区池袋3-3-11音羽ビル203
泉谷つよし 様
●都議2期
〒114-0022
北区王子本町1-22-3王子工業会館3階
原田大 様
●都議2期
〒178-0063
練馬区東大泉5-41-27豊川ビル3階
野上ゆきえ 様
●都議2期
〒123-0843
足立区西新井栄町1-19-31-1909
大西さとる 様
●都議2期
〒125-0041
葛飾東金町1-19-6-201
伊藤まさき 様
●都議2期
〒194-0022
町田市森野6-379-1-501
今村るか 様
●都議2期
〒182-0036
調布市飛田給2-29-1ベルヴェデーレ調布201
尾崎大介 様
−−−以上転載−−−

魂の操縦桿と精神の風

 ニコニコ技術部有志主催で作ってみた祭が開催されている。この2月一杯、テーマに沿った動画作品を投稿して盛り上がろうという企画だ。今回のテーマは「空を飛ぶ」である。
 3月6日に開催される空フェス!と連動しているので、私は「作ってみた祭」の企画にも参加していた。
 それまで私は、単純に「空を飛ぶもの」の動画を集めるのだと思っていた。だが、何をもって「空を飛んだ」とするかを判定するのはなかなか難しい。狭い意味では揚力、重力、推力、抗力の四つが平衡した定常飛行がその定義になるだろう。ライト兄弟のフライヤーは飛行、サントス・デュモンの飛行機はジャンプ、と見なされるゆえんである。
 だが、この定義だとロケットの弾道飛行は飛行ではなくなる。揚力が(あるにはあるが)本質的な役割を果たしていないからだ。
 細かいことを言い出すときりがないので、「作者が飛んだと思ったらOK」ということになった。「作ってみた祭」の目的は優劣を競うことではない。多様な作品を集めることだ。実際に飛ばなくても、精神的に飛んだ気がするものでもOK、となった。
 企画スタッフで作例を集めてみたところ、伊予柑氏が小学生のときに作った「キキの風見鶏」が面白かった。『魔女の宅急便』に登場する、箒にまたがったキキを模した風見鶏である。なるほど、ピュアな心でこれを見上げれば「キキが飛んでいる」と感じられるだろう。

 私はこの、「魂で飛ぶ」というのが気に入った。
 リアル中坊の頃、拾ってきた木切れをナイフで削って「操縦桿」を作ったことがある。これを握りしめるだけで、空が飛べた。飛行機のプラモデルを眺めているだけでも、空が飛べた。もちろんサン=テグジュペリリチャード・バック木村秀政佐貫亦男の本を読んでも空が飛べた。
 「人生で最も恥ずかしい年頃」と言われる14歳頃の想像力は無敵である。仕事柄、妄想力にはそれなりの自信があるのだが、いくら年季を積んでもあの頃の自分にはかなわない。
 そんなわけで、十代の心を取り戻すために「魂の操縦桿」を作ってみた。

 BGMには小林オニキス氏の『さよならアストロノーツ』を勝手に使わせてもらった。子供の頃に夢想した未来と、すっかり違ってしまった日常の中で、なんとか折り合いをつけて生きようとする思いを歌ったバラードである。人がうらやむ、相当に自己実現のできている人でも、こんな気持ちを一定量抱えているはずだ。
 私はこの曲が大好きで、今回はBGMというよりPVを作った、というのが正直なところだ。実体化を旨とするニコニコ技術部員なりの表現といえようか。

 「魂の操縦桿」の構造は、素朴を第一とした。操縦桿にあわせてジンバルで二軸が動くだけだ。足りないものは心で補うことにしよう。とはいえ、仕組みは実機のリンケージと大差ない。実機では各軸を二本の索で引っ張る「両引き」だが、この装置では片方を輪ゴムで引っ張る「片引き」にした。
 ジンバルの上に両面テープで貼り付けたプラモデルは1/72「神風号」で、長野の飯沼飛行士記念館で買ったものだ。
 神風特攻隊と間違えないでほしい。神風号は戦前――日中戦争の開始直前――昭和12年に亜欧連絡飛行を成し遂げた、朝日新聞社の連絡機だ。東京からロンドンまでを約四日で飛行し、ジョージ六世の戴冠を祝賀した。
 両大戦の間にある1930年代の航空界は黄金時代といわれる。私はこの時代の民間機が好きだ。サン=テグジュペリの著作で知られる南方郵便飛行のブレゲー14やラテコエール28、多くの冒険飛行に使われたコードロン・シムーンアメリア・イヤハートが乗ったロッキード・ベガやアルテア。デ・ハビランドのプスモス、タイガーモスもいい。
 この時代のキーワードで検索していたらこんな動画が見つかった。ニコマス恐るべし、である。

 神風号はエンジンも機体も国産で、世界に比肩する性能を持っていた。寸法は零戦と大体同じで、ロンドンでは「ずいぶん小さな飛行機で来たもんだな」と思われたようだが、大喝采を浴びたことは事実らしい。加えて飯沼飛行士が映画スターのようなハンサムで、塚本機関士も日英混血の伊達男だったことが彩りを添えている。イギリス、フランスの要人を前にした祝賀行事でも、二人は堂々として実に格好よかった。吉川英治はこの件に「神風に寄す 美貌なれ国家」という文章を寄せている。確かにこの時代の日本人は自信を備えてきて、美しいところがあった。まあ大体において、戦争を始めるちょっと前の国民はイキイキしているものである。

 「魂の操縦桿」で盛り上がるには、こうやってモデルにした飛行機の背景をよく知ることが大切だ。そして――これが最大の精神力を要するのだが――外乱を自ら与えることをしなくてはならない。この場合の外乱とは、たとえば気流の変化である。
 「おっ、突然の下降気流だ!」と心でイベントを生成し、機体をそれらしく動かす。このときの操縦桿は操縦ではなく外乱を加えるために動かすのだ。しかるのち、機体を立て直すべく「操縦」する。一人二役である。
 ゲームではこの外乱をコンピュータや対戦者やサイコロが生成してくれる。だが、人間の知能には「他者の立場に立って思考する」機能が備わっているから、精神を集中すれば、外乱と操縦者を一人で演じ分けることができる。いかに滑稽に見えようとも、ロールプレイは高度な知能の証であり、人が宿す社会性の才能だ。
 航空自衛隊パイロット訓練生が、寮の廊下でイメージトレーニングする様子をテレビで見たことがある。これもはたから見るとかなり奇妙な光景だ。右手に操縦桿のようなものを握り、左手に飛行機の模型を持って、一心に集中しながらぐるぐる回ったり、体を傾斜させたりする。たぶん旋回計の黒いボールを脳裏に描くなどして、操縦桿やラダーペダルを操っているのだろう。

 もちろん、外乱をコンピュータで生成して、フィジカルなフライトシミュレータを作っても面白いだろう。ジョイスティック、サーボモーターとArduinoがあれば、ハードウェアは簡単に作れる。ジョイスティックの操縦桿を引くと、サーボで駆動された物理モデルはまず上を向くが、それはコンピュータ内部にある仮想モデルの姿勢を反映している。時間と共に機速が落ち、やがてがくりと失速するわけだ。
 そうなるとスロットル・レバーと対気速度計もほしい。三次元の操縦を再現するためにはラダーペダルもほしい。
 小型の液晶ディスプレイの上にフレネルレンズとハーフミラーを置けば、ヘッドアップディスプレイも作れる。懐中電灯と虫眼鏡とアクリル板でも、Revi電影照準器のようなものが作れるだろう。これは天体望遠鏡の等倍ファインダーとして市販されてもいる。
 「コンピュータは物真似の達人」といわれる通り、それを使ったフライトシミュレータはいくらでも凝った物が作れる。あまり凝りすぎると、初心を失うかもしれない。結局、この体験の本質は飛行を渇望する精神だ。サン=テグジュペリ『人間の土地』の一節を引用しよう。

  精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。
                  (新潮文庫堀口大學訳)

夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

ニコニコ大会議名古屋と金星ミク・プロジェクト

 ドワンゴの齋藤Pから名古屋のニコニコ大会議に出演しませんか、という話が来たのは昨年の9月下旬のこと。二つ返事で承諾したものの、何をするかはずっと放置状態だった。
 10月になって齋藤Pから「わんかっぷP(わP)も出演するのでコラボしては」という提案があった。11月になって大須の第一アメ横でわPと待ち合わせ、コラボの相談をした。相談はすぐに終わって、後はわPに大須を案内してもらって楽しく飲み食いしたのだった。

 中華料理『咲咲』にあった、わPのボトル。この店の酢豚は絶品である。



 咲咲の上の階にあるガンダムバー『SIEG ZEON』。店内はわPグッズだらけ。

 わPとどんな相談をしたかというと、「我々は二人ともライブパフォーマンスに向いていない。かといって動画を作って見せるのでは面白くない。尻Pの作った“空飛ぶパンツ”にわPが絵を描き、それを客に向かって飛ばすことにしよう」となった。
 わPは色紙やボールにも絵を描いた。私は三機の“空飛ぶパンツ”を作った。絵を描きやすいように背骨のない構造にして、MDF材で専用の下敷きを作った。
 わPは下敷きにも絵を描いてくれた。これは私の宝物である(写真)。

 1月11日の大会議当日、正午前に会場入りした。“空飛ぶパンツ”の飛行調整をする。
 ボトムラインは由緒あるライブハウスだが、パンツを飛ばすのには向いてなかった。庇のように張り出した二階席が邪魔で、旋回飛行させる充分な空間がない。二階席の前縁に照明器具が並んでいて、ここに機体が引っかかると火事になりそうなので、あまりふわふわ浮くのも危ない。空調のせいで乱流もある。そんなわけで、少々あっけないがストレートに客席に飛び込むように調整した。

 ひろゆき氏と川上会長が来場したので、いろいろ質問したりした。全部ここに書くわけにはいかないが、できる範囲で記しておこう。

Q:私のプレミアム推進アピールはどれくらい効果があったか?
A:効果は詳しく分析した。○○人ぐらいと推定している。

 伏せ字にした人数の一年ぶんの支払額総計は私の十年分の収入に匹敵する。思いついて2時間で作ったページがこんな効果をもたらすとは、ITビジネスとは面白いものだ。私は「寿司でもおごってください」と言っておいた。

Q:御三家隔離の理由は?
A:ビギナーのため。たとえば「音楽」カテゴリに初音ミクばかりずらずら並んでいるとビギナーが入りにくい。

 御三家隔離は私にとってあまり面白くない処置だったが、カテゴリタグが複数化されたので特に実害は感じていない。なお、カテゴリ・グループ名は「殿堂入り」などと白々しいものにせず、「隔離」としてほしかった。ニコニコ動画の文化において「隔離される」なんて、まんざらでもない気分ではないか。

Q:「とりあえず生中」など、テレビの真似事みたいなことをしているのは何故か? 運営はCGMから離れようとしているのか?
A:CGMの出口とすべく、ネット上のテレビ局のようなものを構築している。いくら好きでしていても、収入にならなくてはCGMは続かない。「とりあえず生中」はテレビ界の人材とのつながりを得るためでもある。

 以上はかなり要約しているのでニュアンスが違うかもしれない。
 リハーサルが始まった頃には外に来場者が大勢集まっていて、列は今池交差点まで続いていた。入場者は600人に達し、過半数が女性だった。これは「同伴一名OK」が効を奏したらしい。

 以下、当日の写真など。



 CGMといえば、前回のエントリで述べた金星に初音ミクを送るプロジェクトである。当初の期日内に1万人を超す署名が集まり、サイトの国際化に続いてピアプロでの緊急コラボが実現して70点近いイラストが集まった。JAXAからは3枚ものアルミプレートが提供され、全メッセージと全イラストが掲載されることになった。まず大成功と言っていいだろう。
 このプロジェクトを立ち上げた超電磁P、ウェブサイトを作ってくれたもろへいや氏、各国の言語に翻訳してくれた皆さん、テキストと画像の合成に携わったニコニコ技術部の皆さん――多言語のビットマップ展開が予想外に難しかった――(株)クリプトン、JAXA宇宙科学研究本部対外協力室、Twitter等で話をひろめ、署名してくれた皆さんにはただ感謝するほかない。SOMESATでは今後も金星探査機「あかつき」を見守り、注意喚起していく予定だ。

 ピアプロでの選考結果はこちら>piapro(ピアプロ)|SOMESAT「あかつき」支援部×ピアプロ緊急コラボ 

 考えることは同じ?で、ピアプロでのコラボが始まってまもなく、経済産業省も同様のプロジェクトを開始した>piapro(ピアプロ)|経済産業省事業「たんすケータイあつめタイ\(^o^)/」×ピアプロコラボ こちらも順調にイラストが集まっている。例によって頼まれもしないのに動画まで作られている。
D
 かように強力な動員力を持つ「初音ミク・コラボ」現象の分析は、右の論文が詳しい>動画共有サイトにおける大規模な協調的創造活動の創発のネットワーク分析 ニコニコ動画における初音ミク動画コミュニティを対象として(PDF)