魂の操縦桿と精神の風

 ニコニコ技術部有志主催で作ってみた祭が開催されている。この2月一杯、テーマに沿った動画作品を投稿して盛り上がろうという企画だ。今回のテーマは「空を飛ぶ」である。
 3月6日に開催される空フェス!と連動しているので、私は「作ってみた祭」の企画にも参加していた。
 それまで私は、単純に「空を飛ぶもの」の動画を集めるのだと思っていた。だが、何をもって「空を飛んだ」とするかを判定するのはなかなか難しい。狭い意味では揚力、重力、推力、抗力の四つが平衡した定常飛行がその定義になるだろう。ライト兄弟のフライヤーは飛行、サントス・デュモンの飛行機はジャンプ、と見なされるゆえんである。
 だが、この定義だとロケットの弾道飛行は飛行ではなくなる。揚力が(あるにはあるが)本質的な役割を果たしていないからだ。
 細かいことを言い出すときりがないので、「作者が飛んだと思ったらOK」ということになった。「作ってみた祭」の目的は優劣を競うことではない。多様な作品を集めることだ。実際に飛ばなくても、精神的に飛んだ気がするものでもOK、となった。
 企画スタッフで作例を集めてみたところ、伊予柑氏が小学生のときに作った「キキの風見鶏」が面白かった。『魔女の宅急便』に登場する、箒にまたがったキキを模した風見鶏である。なるほど、ピュアな心でこれを見上げれば「キキが飛んでいる」と感じられるだろう。

 私はこの、「魂で飛ぶ」というのが気に入った。
 リアル中坊の頃、拾ってきた木切れをナイフで削って「操縦桿」を作ったことがある。これを握りしめるだけで、空が飛べた。飛行機のプラモデルを眺めているだけでも、空が飛べた。もちろんサン=テグジュペリリチャード・バック木村秀政佐貫亦男の本を読んでも空が飛べた。
 「人生で最も恥ずかしい年頃」と言われる14歳頃の想像力は無敵である。仕事柄、妄想力にはそれなりの自信があるのだが、いくら年季を積んでもあの頃の自分にはかなわない。
 そんなわけで、十代の心を取り戻すために「魂の操縦桿」を作ってみた。

 BGMには小林オニキス氏の『さよならアストロノーツ』を勝手に使わせてもらった。子供の頃に夢想した未来と、すっかり違ってしまった日常の中で、なんとか折り合いをつけて生きようとする思いを歌ったバラードである。人がうらやむ、相当に自己実現のできている人でも、こんな気持ちを一定量抱えているはずだ。
 私はこの曲が大好きで、今回はBGMというよりPVを作った、というのが正直なところだ。実体化を旨とするニコニコ技術部員なりの表現といえようか。

 「魂の操縦桿」の構造は、素朴を第一とした。操縦桿にあわせてジンバルで二軸が動くだけだ。足りないものは心で補うことにしよう。とはいえ、仕組みは実機のリンケージと大差ない。実機では各軸を二本の索で引っ張る「両引き」だが、この装置では片方を輪ゴムで引っ張る「片引き」にした。
 ジンバルの上に両面テープで貼り付けたプラモデルは1/72「神風号」で、長野の飯沼飛行士記念館で買ったものだ。
 神風特攻隊と間違えないでほしい。神風号は戦前――日中戦争の開始直前――昭和12年に亜欧連絡飛行を成し遂げた、朝日新聞社の連絡機だ。東京からロンドンまでを約四日で飛行し、ジョージ六世の戴冠を祝賀した。
 両大戦の間にある1930年代の航空界は黄金時代といわれる。私はこの時代の民間機が好きだ。サン=テグジュペリの著作で知られる南方郵便飛行のブレゲー14やラテコエール28、多くの冒険飛行に使われたコードロン・シムーンアメリア・イヤハートが乗ったロッキード・ベガやアルテア。デ・ハビランドのプスモス、タイガーモスもいい。
 この時代のキーワードで検索していたらこんな動画が見つかった。ニコマス恐るべし、である。

 神風号はエンジンも機体も国産で、世界に比肩する性能を持っていた。寸法は零戦と大体同じで、ロンドンでは「ずいぶん小さな飛行機で来たもんだな」と思われたようだが、大喝采を浴びたことは事実らしい。加えて飯沼飛行士が映画スターのようなハンサムで、塚本機関士も日英混血の伊達男だったことが彩りを添えている。イギリス、フランスの要人を前にした祝賀行事でも、二人は堂々として実に格好よかった。吉川英治はこの件に「神風に寄す 美貌なれ国家」という文章を寄せている。確かにこの時代の日本人は自信を備えてきて、美しいところがあった。まあ大体において、戦争を始めるちょっと前の国民はイキイキしているものである。

 「魂の操縦桿」で盛り上がるには、こうやってモデルにした飛行機の背景をよく知ることが大切だ。そして――これが最大の精神力を要するのだが――外乱を自ら与えることをしなくてはならない。この場合の外乱とは、たとえば気流の変化である。
 「おっ、突然の下降気流だ!」と心でイベントを生成し、機体をそれらしく動かす。このときの操縦桿は操縦ではなく外乱を加えるために動かすのだ。しかるのち、機体を立て直すべく「操縦」する。一人二役である。
 ゲームではこの外乱をコンピュータや対戦者やサイコロが生成してくれる。だが、人間の知能には「他者の立場に立って思考する」機能が備わっているから、精神を集中すれば、外乱と操縦者を一人で演じ分けることができる。いかに滑稽に見えようとも、ロールプレイは高度な知能の証であり、人が宿す社会性の才能だ。
 航空自衛隊パイロット訓練生が、寮の廊下でイメージトレーニングする様子をテレビで見たことがある。これもはたから見るとかなり奇妙な光景だ。右手に操縦桿のようなものを握り、左手に飛行機の模型を持って、一心に集中しながらぐるぐる回ったり、体を傾斜させたりする。たぶん旋回計の黒いボールを脳裏に描くなどして、操縦桿やラダーペダルを操っているのだろう。

 もちろん、外乱をコンピュータで生成して、フィジカルなフライトシミュレータを作っても面白いだろう。ジョイスティック、サーボモーターとArduinoがあれば、ハードウェアは簡単に作れる。ジョイスティックの操縦桿を引くと、サーボで駆動された物理モデルはまず上を向くが、それはコンピュータ内部にある仮想モデルの姿勢を反映している。時間と共に機速が落ち、やがてがくりと失速するわけだ。
 そうなるとスロットル・レバーと対気速度計もほしい。三次元の操縦を再現するためにはラダーペダルもほしい。
 小型の液晶ディスプレイの上にフレネルレンズとハーフミラーを置けば、ヘッドアップディスプレイも作れる。懐中電灯と虫眼鏡とアクリル板でも、Revi電影照準器のようなものが作れるだろう。これは天体望遠鏡の等倍ファインダーとして市販されてもいる。
 「コンピュータは物真似の達人」といわれる通り、それを使ったフライトシミュレータはいくらでも凝った物が作れる。あまり凝りすぎると、初心を失うかもしれない。結局、この体験の本質は飛行を渇望する精神だ。サン=テグジュペリ『人間の土地』の一節を引用しよう。

  精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。
                  (新潮文庫堀口大學訳)

夜間飛行 (新潮文庫)

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人間の土地 (新潮文庫)

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