野尻抱介blog

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フロリダ紀行/打ち上げ当日編


 4月4日、山崎家のパーティーが終わってモーテルに戻り、少し仮眠を取った。打ち上げはその夜から行動開始で、JAXA招待組は午前3時にココアビーチのホテルに集合する。
 我々はnecovideoさんの機材を手分けして運んだ。天体望遠鏡を連結した倍率200倍以上の超望遠カメラもあったが、これを抱えてバスに乗り込んだらNASAの女性職員に「バイブレーションを撮影するのね!?」と大笑いされた。私もこの倍率は高すぎると思っていたが、それを一目で見抜くとはさすがNASA職員だった。




 連れて行かれたのはASVC(アポロ・サターンVセンター)に隣接したバナナクリーク・ビューイングサイトというところ。射点からの距離は6kmで、報道陣が陣取る場所より数百メートル遠いだけだ。いくつかに区分けされた観覧席があって、北端のブロックはクルーの近親者専用になっていた。
 山崎さんの応援団は横断幕や寄せ書きの入った日の丸を掲げて気勢を上げていた。私は見逃したが法被姿の一団が「NASA音頭」を披露したりもした。空は快晴で、沖天に半月が明るく輝いていた。


 6時5分頃、「ISSが上空を通過する」というアナウンスが入って、明るい光点が南西の空から近づいてきた。これが半月と重なったのはひとつの奇跡で、大歓声が上がった。そしてISSは赤らんだ東の地平線に消えた。
 もちろんシャトルはこれからISSに向かうのだから、打ち上げ15分前にISSが通過するのは奇跡でもなんでもない。軌道面が同一で、シャトルは低いところから接近するぶん軌道速度が上がるので少し遅らせて打ち上げるわけだ。だが、この「あたりまえ」をこれほどわかりやすく示せる場所は地球上でここしかない。山崎夫妻との出会いを含めて、さまざまな奇跡が重なってこの場に来ているのだ、と思ったものだった。



 私は観覧席には座らず、いちばん前のフェンスにかぶりついた。ロケット打ち上げに際しては記録よりも体験重視なのだが、今回は高品位の録音に挑戦してみた。生録用のコンデンサーマイク RODE NT4をUA-25EXオーディオインターフェースにつなぎ、24bit 96kHzで記録した。
 悪くない装備だと思うが、不慣れゆえ録音は失敗だった。初期設定で録音レベルが高すぎ、ロケットどころか周囲のヤンキーどもの歓声だけでレベルが振り切ってしまっている。あわてて調整したらこんどはレベルが低すぎたようだ。一部を切り出して未加工のままmp3に変換したものがこちらに置いてある>http://njb.virtualave.net/web/rl2010/sts131mp3a.mp3





 音速を340mとすると、6km離れた観覧席に届くのは18秒後。観客が見ているカウントダウンクロックは音速の遅れなしで動いている。カウントゼロから爆音が届き始めるまで12秒で、これはT-6秒のメインエンジン点火のタイミングだ。シャトルはまだ発射台上にいて、ウォーターカーテンに向かってSSMEの噴射を叩きつけている。カウントゼロで固体ブースター(SRB)に点火され、シャトルは離床する。観覧席では18秒後で、衝撃波に起因するバリバリ音が聞こえ始めるのはここからだ。音だけでなく顔や体にも圧力を感じるが、これは衝撃波そのものではなく、それによって引き起こされた音速の空震だと思う。

 打ち上げから2分後、高度45kmぐらいでSRBが分離される。赤い蝋燭のようなものが回転しながらゆっくり離れてゆくのが10倍の単眼鏡でよく見えた。SRB分離を撮りたければこの倍率で充分ということだ。
 このときも大歓声が上がったが、これは観客がSRBの危険を知っているからだろう。チャレンジャー事故はSRBから漏れた噴射ガスが外部燃料タンクを炙ったためだった。

 SRBを分離したあたりからロケットの仕事は「空気の薄いところまで上昇する」から「軌道速度を得る」に重点が移る。三基のSSMEは液酸・液水エンジンで、燃焼ガスは透明だが金星のように明るく輝いて見える。これは燃焼ガスがプラズマ状態にあるときの光だろう。写真にも淡く写っているが、シャトルの後方に三本の巨大なプリュームが現れる。たぶん燃焼ガスの水蒸気が冷えて生じた「雲」だろう。


 SRBの噴射ガスは濁っているので濃い航跡ができる。この航跡の最高部は高度45kmだから、だいたい成層圏界面と呼ばれる領域だ。時刻は地方時の6時半頃で、地上はまだ暗いが上空は夜明けを迎えていた。そんなわけで高いところ(写真では左下部分)から先に航跡が白く輝き始めた。気づいた観客がまた歓声を上げた。アメリカ人はいちいち反応が大きくて面白い。プレス席よりもこちらの観覧席のほうが臨場感が味わえるのではなかろうか。


 というわけでシャトルが軌道速度に達するまでじっくり見てしまったのだが、案内のNASA職員からは「このバスは早期に出られる位置に駐まっているので、SRBの燃焼が終わったらバスに戻ってください」と言われていた。ここまで来て、そんなNHKの中継みたいな味気ないことができるか、と思ったわけだが、実際にバスが発車したのは打ち上げ20分後ぐらいだった。
 シャトルの航跡は夜明けの空で刻々と姿を変えながら、一時間以上見えていた。翌日のフロリダ・トゥデイによると、今回の打ち上げの爆音はいつもより広範囲に響いたらしい。それは気のせいではなく、大気の温度境界層の影響ということだった。