野尻抱介blog

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半矢のカルガモを追って中洲を駆けた

日曜昼下がりのM県某川、国道23号線の通る橋から見える中洲で、男と鴨が追いかけっこしていた。目撃者はいただろうか。鴨はカルガモで、男は私だ。動画撮影していれば滑稽さと悲しさの入り交じった味わい深い作品になったと思うが、そんな余裕はなかった。

 左の写真で、鴨は遠くに見える緑の橋のすこし手前、川の中央付近を泳いでいた。
 私は橋の向こう側でそれを見つけ、堤防から降りて葦の茂みに入り、橋脚の死角から鴨に近づいた。
 スリングショットを構え、ゴムを引き絞り、橋脚の影からそっと上半身を出して鴨を撃った。射程は25mぐらいか。
 鴨は50cmほど舞い上がったが、すぐに水面に落ちた。しかし元気に泳ぎ始めた。
 狩猟対象が手負いの状態になることを半矢(はんや)という。ショットガンや空気銃を使ってさえ、鴨はしばしば不死身かと思われるほど打たれ強い。飛べなくなってから、泳いで逃げられることがよくある。半矢は猟師の恥であるから、なんとかして捕獲にこぎつけなければならない。
 犬を連れずに単独でやる鳥猟でいちばん重労働なのは、半矢から捕獲・回収までだと思う。初矢が当たるまではいつでもやめられるが、半矢になったらできる限りのことをしなければならない。ずぶ濡れになって川を徒渉したり、雑草の種まみれになって薮漕ぎをする。こうして猟師たちはなかば強制的に、普段なら決して知ることのない自然と向き合うのである。

 私は覚悟を決めて堤防に駆け上がり、橋を渡った。鴨が中洲に上陸するのが橋から見えた。私も中洲に降りた。50mほど先で、鴨は私を認めるとトテトテと走り始めた。私も走った。鴨はやがて写真手前の導水橋の橋脚の根元の水たまりに入り、泳ぎ始めた。
 私が近づくと鴨は橋脚の裏にまわる。そちらへ行くと鴨は反対側に逃げる――というチェイスを数回繰り返したあげく、ようやく止め撃ちに成功した。鴨はおとなしくなった。

 初弾は鴨の右上腕骨を折っていて、傷口から骨が見えていた。これで飛べなくなったわけだ。まだ生きているので、喉元の頸動脈をナイフで切って血を抜いた。血が抜けきった頃、酸欠で苦しいのか、急にバタバタともがき始める。断末魔というやつだ。両手で鴨の体と首を押さえて待つ。
 やがて鴨はぐったりとして、二度と動かなくなった。押さえつけていた手に、鴨の体温が伝わってくる。仕留めたことを喜びつつも、猟でいちばんつらい時だ。写真を撮ったときには、血は砂に染み込んでいたが、それまでは真っ赤な血溜りになっていた。
 腸を抜き取ってペーパータオルに包み、鴨といっしょにレジ袋に入れて堤防に上がる。
 こうして、およそ20分にわたる悲喜劇の幕は下りた。
 帰る途中、スーパーに寄って、ネギとニラを買った。羽根をむしって、おいしくいただくとしよう。

はてなダイアリーの記事、スリングショット猟の意義と法律解釈ガジェット通信に転載された。合法性に疑問のある方は記事を参照されたい。