野尻抱介blog

尻Pこと野尻抱介のblogです

ついに猟銃所持。また一歩、高間に近づいた!

 猟銃所持シリーズの続きである。これまでの流れは以下の通り。
 その1……狩猟者登録と猟銃所持の手続き開始
 その2……県警本部で猟銃等講習を受けてきた
 その3……猟銃所持の手続き、その3

 前回の続きからいこう。2014年2月26日、警察に書類一式持って行って所持許可申請をした。手数料として収入証紙で10500円払った。
 所轄署はこれを受けて、今度は県警本部に本件を伝え、指示を待つ。その指示にそって再び身元調査をやり直すそうだ。
「聞き込みって教習資格認定申請のときもやりましたよね。二度手間じゃないですか?」と聞くと、「そうなんですけど、今度は県警本部からの指示なので、場合によってはもっと広い範囲で聞き込みすることがありまして…」と、頭をかくのだった。ちなみにこの人は生活安全課の職員Nさんで、30代くらいの腰の低い青年である。私の担当なので、手続きを初めてからすっかり顔なじみになった。
 このNさんが近隣住民に聞き込み調査をしたりするので、半日~一日仕事だろう。そう思えば手数料に1万円ぐらいかかるのは仕方がないような気もする。とはいえ、そもそもこのシステムには無駄があるのではないか。所持許可を出した人物が犯罪に走った時、責任の所在が所轄か本部かであいまいになりそうだ。

 このあと、銃砲店でガンロッカーを購入した。許可が下りるかどうか不明なうちからガンロッカーを買うのは不条理だが、ガンロッカーがないと銃の保管基準を満たせないので仕方がない。キャッチ=22状況というやつだ。
 扉の上下でロックする、厚さ1mm以上の鋼板もしくはそれと同等以上の強度を持つ箱、という規定を満たしていないといけない。これは37000円した。

 本部からの指示が出たのだろうか、3月18日、Nさんがふたたび家庭訪問に現れた。ガンロッカーと装薬ロッカー(金庫)の場所を確認し、写真を撮っていく。
「このあと普通、2~3か月かかりますので承知おきください」と言われる。

 5月26日、所持許可が下りたとの連絡があった。さっそく警察署に出向くと、青い手帳がもらえた。「猟銃・空気銃 所持許可証」とある。
 これを持って銃砲店に行き、2月に予約した銃を購入する。耳栓とスプレーオイルもつけてもらった。写真右の許可証カバーももらった。
 銃を持って再び警察署に行き、確認作業をする。Nさんと私は取調室に入り、銃の寸法を測った。銃身長と全長である。全長は銃口から銃床までの長さで、銃床の底にあるバットプレートの厚みは含めない。バットプレートは交換することがあるからだろう。



 家に持ち帰った猟銃は、さっそくいじり倒した。傷だらけで装飾も安っぽく、ぱっとしない銃だが、私は「また一歩、高間に近づいた!」と、ビールで祝杯を上げた。高間というのは黒田硫黄の『茄子』に出てくるおじさんで、私の目標とする人物のひとりだ。
 手続きに要した期間は半年、費用は手続きだけで17万円、銃は中古で5万円、合計22万円となった。安くない金額だが、大人の遊び、オタクの遊びとしてはたいしたことないと思う。まあ、モバマスをする人に較べたら…。
 ニコニコ技術部員の性として、あるいはMakerの権利章典にある通り「分解できないものは所有したことにならない」であるから、私は銃の分解に取りかかった。
 銃床を貫通する穴の先にボルトがあるので、ボックスレンチの延長シャフトを買ってきてこれを外し、機関部を取り外した(写真中、右)。これで2連発を実現する仕組みがわかった。引金の上の四角いパーツが振り子になっていて、初弾発射の反動で引金が次弾の発射機構にリンクされる。初弾が不発だと反動が発生しないから、次弾も撃てないことになる。

 日を改めて、射撃練習のための実包を購入する手続きをした。教習のときと同様、猟銃用火薬類等譲渡許可申請をする。簡単に購入できる実包の上限は800発とされている。申請にあたっては何月何日に何発購入し、どこで何発使用するかの予定を記入しなければならない。実包は使用当日に購入する形で記入するよう指示された。月に2回、100発ずつ、4か月にわたって使い続ける計画にした。手数料は2400円。
「すみませんが、許可を出すのは一週間後となってまして、来週来ていただけますか」
 Nさんはまた頭をかきかき言う。ここでキレてはおしまいなので「はいはい承知してます」と答えておく。実際、こういう手続きの非能率にはすっかり慣れた。これまでもいろいろめんどくさいことを訴えてきたが、いま強調しておきたいのは「慣れればどうってことない」である。
 要するに日本の官憲は「土曜の夜にふと思い立って銃と弾を買いそろえ、事に及ぶ」ことを阻止しているにすぎない。何事も計画的にやれば、大手を振ってトリガーハッピーできるのだ。
 銃砲店に行き、射撃場で実際に何発使うか見当がつかなかったので、200発買った。これはあらかじめ警察にも口頭で伝えてあったが、予定と変わるのはかまわないとのことだった。値段は200発で8000円、1発40円と、案外安い。
 銃砲店は何を何発売ったか許可証に記入・捺印し、射撃場でも何発撃ったかを記入・捺印する。年に一度くらい警察がこれを検査して、実包が宙に消えていないか確認するらしい。

 そして6月10日、三重県にただひとつある上野射撃場で練習してきた。左の写真は私ではない。
 射撃の練習というものをどうしたらいいのか、まったくわからなかったので、射撃場の人に教えてもらった。
 クレー射撃には大別してトラップ射撃とスキート射撃がある。
 私の持っている銃は実猟用で銃身が短いので、スキート射撃場で教えてもらいなさい、と言われた。スキートのほうが実猟に近い動きになるそうだ。この射撃場はトラップ射撃とスキート射撃しかできないので、そのいずれかをやる形でしか練習できないとわかった。
 スキート射撃場に行ってみると、指導員の資格を持つOさんがたまたまいて、親切に教えてくださった。スキート射撃は銃を腰だめにして構え、クレーが発射されてから素早く頬付けして撃つ。銃床が腰から肩まで滑るように移動するので、右胸にポケットがある服は使えない。ひっかかって暴発の危険があるからだ。私はまさにそういうベストを着ていたので、射撃用のベストを貸してもらった。
 銃の運びかた、挙銃動作(けんじゅう、と読みそうだが、きょじゅうどうさ/銃を構える動作)、射台以外では装填できないこと、装填した銃は必ず空に向けることなど、細かく厳しく指導してもらった。それからスキートの7番、1番、4番射台で練習をつけてもらった。
 銃の扱いは危なっかしくて叱られっぱなしだった。装填したとき、つい銃口が下を向いてしまう。だが、クレーにはそこそこ命中した。頬付け、肩付けがサマになっている、と褒められた。前に射撃をやっていたのか?と聞かれて「エアソフトガンで少し…」と答えたら大いに納得された。
 エアソフトガンは反動がないから実銃の練習にならないと思っていたが、そんなことはないのだ。挙銃動作ができていれば、あとは反動に耐えることだけ考えればいい。サバゲーをしている人はそう思って訓練に精進されたらいいと思う。
 ミロクの銃は嵌合がきついから、しっかりグリスを塗らないとだめだ、とも言われた。嵌合(かんごう)とは、はめ合いのことで、連結部分などが寸分のガタもなくかっちり組み合わさることだ。見た目は貧相でも、ミロクの銃は世界の一線で通用する精度を持っているそうな。

 この練習のあと、通販で射撃用ベスト、イヤーマフ、洗い矢などを買い揃えた。狩猟ではオレンジ色の猟友会ベストを着るのだろうが、標的射撃では別の用意が要るのだった。
 バットプレートはひびが入っていたのでエポキシ接着剤で補修して使ったが、心許ないのでトネリコ材で自作した。

 実銃を所持したら、どんな変化があるのか――これは自分にとって最も興味のあることで、これが目的で所持したようなものだ。私は(いまのところ)ガンマニアではないから、銃をとっかえひっかえする欲求はない。関心は、物語世界で頻出する銃というガジェットを実体験することにある。
 『山賊ダイアリー』にもあったが、実銃と実包を所持してから、戸締まりに用心するようになった。もし盗まれたら、その損失だけではすまない。悪用されて罪のない誰かを危めることになりうるから、責任を感じずにはいられないのだ。ガンロッカーと装薬ロッカーは毎日チェックして盗難の有無を確かめ、さらに挙銃動作の練習をしたりする。銃は3.2kgあるので上げ下ろしするだけで汗だくになる。
 スキート射撃はまだちゃんとしたゲームを経験していないが、クレーに命中したときの爽快感は格別なので、もう少しやり込んでみたい。
 猟銃のなんたるかがわかるのは、やはり実猟だと思う。それを試せるのは11月15日、猟期が始まってからだ。
 いまのところ、最も大きな収穫は、物語で描写される銃器のありさまが、ありありと実感をともなって想起できるようになったことだ。実銃を撃つだけなら、グアムにでも行けば体験できるし、私も四半世紀前に経験した。しかし銃を所持する=人や獣を殺傷するパワーを持続的に持つ経験は今回が初めてだ。
 するとどうなるか――
「あいつ、気にくわないからいつでも殺してやるぜ」なんて考えは、まったく想起されない。自分でも意外だったが、「俺は銃を持ったから、人に優しくあろう」という気持ちになるのだ。
 優しさと強さがセットになっていることはよく知られた真理である。本物の優しさは、強い人しか持てない。弱いのに人に優しいのは、もたれあっているだけだ。マッチョな考え方に見えるが、優しさとはそういうものだ。
 間違えないでほしいが、私が実際に人に優しくなったわけでない。これは銃を持ったことで、そういう考えが想起されたという報告だ。いずれ考えが変わることもあるだろう。