野尻抱介blog

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SFマガジン8月号 初音ミク特集『歌う潜水艦とピアピア動画』について

 早川書房にはいろいろと不義理をしている。Twitterで担当編集者のS澤さんからフォローされたときはただちにブロックしたものだが、にもかわらず「初音ミク特集をやるので短編を書きませんか」とオファーしていただいた。自称ミク廃SF作家として、これは受けるしかなかった。

S-Fマガジン 2011年 08月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2011年 08月号 [雑誌]

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

 私がぽつぽつとSFマガジンに書いてきた短編に「ピアピア動画」シリーズがある。『南極点のピアピア動画』前後編と『コンビニエンスなピアピア動画』だ。編集者の意見もあり、今回もこのフォーマットでいくことにした。このシリーズはかなり露骨に初音ミク現象を扱っているからだ。
 ピアピア動画というのは作品世界におけるニコニコ動画のことだ。そこでは初音ミクのかわりに小隅レイ(こずみ・れい)というVOCALOIDヴァーチャルアイドルがいる。(名前は日本SF界の恩人、小隅黎をもじったもの) このVOCALOID小隅レイの人気にあやかって不可能を可能にしてゆくという、お気楽なシリーズである。
 『南極点の』は星雲賞をいただいたが、『コンビニエンスな』はやや不評だった。大体において、自分が楽しんで書いたものは不評なことが多い。今回の『歌う潜水艦とピアピア動画』も楽しんで書いてしまったから、評価は期待していない。あくまでフィクションではあるが、本作に登場するJAMSTEC産総研経産省海上自衛隊の方々には「すまんかった」と詫びるほかない。
 楽しんで書いたといっても、手を抜いたのではない。むしろその逆だ。特集が特集だから、私は使命感を持って初音ミク現象のなんたるかを解説することに専心した。豊富な具体例を挙げ、噛んで含めるがごとく懇切丁寧に解説してあるので、初音ミクの利用方法がわからない人はぜひ御一読いただきたい。
 そう――初音ミクとは、その人気を誰でも利用できる、人類初の実用バーチャルアイドルなのである。

 原稿は締切を二日ほど過ぎて入稿した。そして6月10日、リライト指示をもらった。後半で小隅レイの存在感が薄いという指摘だった。そこで劇中歌を挿入することにした。
 その日はちょうど秋葉原のホテルにいて、Twitterで飲み会メンバーを募っていた。タイムラインにボカロPのサ骨さん(レッドカードP)がいたので、食事とひきかえにコラボを持ちかけた。次にAmazonの商品券3000円で、と申し出たのだが、商業利用するならそんな安請け合いはできないと断られた。「じゃあいっそボランティアで。友情協力みたいな形のほうがかっこいいかも?」と言ったら引き受けてくれた。この知恵は『予想どおりに不合理』というミクロ経済学の本で得たものだ。
 私は小説のプロットを伝え、「作中でプロジェクトの応援ソングが募集されるので、その応募曲のひとつと思って作詞して」とお願いした。
 サ骨さんは仕事の早い人である。1時間後、詞があがってきた。イメージにぴったりだったので即採用を決めた。さらに三日後、サ骨さんは初音ミクに歌わせてmp3ファイルまで作ってしまった。これはますます素晴らしかった。これは動画になり、ニコニコ動画SFマガジンの発売日にあわせて公開された。
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 サ骨さんのスタイルは渋いロックで、ミクを使っても可愛い感じにならない。伴奏が途切れなくジャンジャン鳴っていて、男っぽいというか、中年ロッカーぽい曲になるのだが、それは小説中で中野が気に入る曲にぴったりだった。萌え属性のない人が「へえ、初音ミクってこれもありなのか」と思うような曲なのだ。
 私は音楽を文字で表現するのが苦手なので、VOCALOID聞き専ラジオのねずもずさんに曲を聴いてもらい、「これを140字で表現して」とお願いした。ねずもずさんはTV局で音楽番組を担当していた人で、SFや宇宙にも愛がある。彼女も大絶賛で、すぐに(皮肉ではなく)素晴らしい文章が届いた。だが文体があまりに情緒纏綿としているので自己流に改悪して使わせてもらった。ひとつ安心したのは、語彙は違っても楽曲の感じ方はほぼ同じだったことだ。この曲は小説の中程に現れるが、解釈のしようによってはもう一箇所、再登場する場面がある。

 「ピアピア動画」シリーズとボカロPとのコラボは過去にもおこなった。小説内に書いた私の作詞は悲惨な出来だが、当時はこれに曲がつくなど想像もしなかったこともある。(その反省もあって今回はサ骨さんに依頼したのだった) しかし動画と曲はとても美しいのでここに紹介しておこう。著作権ビビリPはオーケストラもこなすDTMの達人だ。
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 挿絵はいつもどおり撫荒武吉さんに描いていただいた。メカも人物も安心のクオリティなうえ、小説から画題をしっかり読み取ってもらえるのが大変うれしい。イラストレイターは小説原稿の最初の読者だから、腕の立つ人と組めるのは作家として幸福である。
 サ骨さんが動画に使いたいというので、撫荒さんに挿絵のpsdファイルを提供していただいた。誌上ではモノクロページで使われているが、現物はネイビーブルーのモノトーンで描かれている。(動画を参照のこと)
 挿絵は二枚あって、一枚目はタイトル部分に使われている。念のために言うが、鯨と共に泳いでいるのは初音ミクではない。「ピアピア動画」の世界に初音ミクはいない。かといって小隅レイでもない。レイは二枚目の挿絵でおやしお型潜水艦のセイル部分に描かれている。

S-Fマガジン 2011年 08月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2011年 08月号 [雑誌]

 6月16日、SFマガジン8月号の表紙画像がネットで公開された。初音ミクのビジュアル産みの親、KEI氏によるもので、「メルトのポーズ」をきめたカメラ目線のミクが堂々と描かれている。この開き直り感はGT300に出場した初音ミクZ4以来かもしれない。
ネットで反響がひろまる様子は『歌う潜水艦――』に描写した通りである。TwitterのSF、ボカロクラスタで話題になり、すぐさま初音みくみく初音ミクニュースが記事にした。早川書房のTwitter公式アカウントも呼応してサムネを「ネギ」バージョンに変えた。
 もちろん、私もTwitterを通して懸命に宣伝した。私はSFファンの生き方として、吾妻ひでおの漫画にある台詞「SFを読むのではない、SFするのだ!」を信奉している。今回のSFマガジンは、初音ミクの利用を実体験してもらう絶好のチャンスであった。
 ブームの最初期、AmazonにおけるSFマガジン8月号の「この本を買った人はこんな本も買っています」欄は「大人の科学マガジン 羽ばたき飛行機」だった。私はこちらにも関わっているので、つまり当初は私のTwitterフォロワーからの反応が優勢だったらしい。
 だが二、三日経つと、初音ミクのCDやフィギュアが同欄を席巻した。これはSFマガジンの件がボカロクラスタで自走し始めたことを示している。さらに発売日が近づくと、SF書籍が現れるようになった。これはSFクラスタへの浸透を示唆しているようだ。
 6月21日、早川書房は「SFマガジン8月号《特集・初音ミク》、発売前の増刷を決定。これは1959年の同誌創刊以来初めての快挙」というプレスリリースを出した。それを受けてITmediaが記事に取り上げた。これも小説に書いた通りだが、絶妙のタイミングでプレスリリースを出した早川書房のノリの良さは予想外だった。
 Amazonでのランキングのピークは「雑誌」全体で2位、6月18日のことである。「雑誌・文芸総合」ランキングでは6月29日現在も1位だ。2007年以来、私は「みくみく三倍の法則」というものを提唱してきた。初音ミクを大きく扱った製品は売り上げが3倍になるという経験則だ。初期には3倍どころじゃなかったものもあったが、最近では落ち着いてきている。SFマガジンの場合は通常の1.5倍としたようだ。Amazonでの売れ行きはリアルとかけ離れていることがよくあるので、不良在庫にならないといいのだが。

 巷では「老舗のSFマガジンもとうとうみくみくか」という声も出ていたが、SFマガジンは外野の人が言うほど保守的でも軽薄でもない。ノンフィクション、ゲーム、アニメの評論も長年続いており、サブカル全般をカバーしてきたと言っていいだろう。いわゆる「テレビ漫画」を退ける気風があったのは何十年も前のことだ。
 私が作家業に入った1990年代には、ライトノベルのレビューがあるのはSFマガジンくらいだったから、毎月熱心に読んだものだ。1998年には踏み込んだ内容のエヴァンゲリオン特集が話題になった。本年においても、7月号では真っ白な表紙の伊藤計劃特集、その前は新海誠・バチガルピ特集と、鮮度の高い題材をとりあげている。個人的には5月号のコリイ・ドクトロウ特集が有用だった。8月号をきっかけにSFマガジンを読んだ方は、引き続きチェックされたらいいだろう。

 もちろんこの8月号も充実の内容で、文句なしにおすすめだ。
 山本弘さんの『喪われた惑星の遺産』は人類が滅亡した後に異星文明が金星探査機あかつきに搭載された初音ミクのプレートを調べるというもので、これは現実に起こりうる話だ。ニコニコ動画にも多数の関連動画がある。
 地球文明の消滅後も、その文化がすでに宇宙空間に保存されていることは、初音ミクの不死性とあいまって、とても喚起的だ。

 泉和良さんの『DIVAの揺らすカーテン』はネット空間に存在する意識と実空間が相互作用したら、という仮構を持つもので、その相互作用のありさまがとてもやさしく、はかなげで胸を打つ。ボカロファンなら一度はこんなことを考えるのではないだろうか。
 泉さんはボカロ界ではジェバンニPとして知られている。6月23日に投稿されたこの曲は、小説と共鳴しているように思える。連日投稿されているので、動画説明文を開いて前後の動画をたどるといいだろう。
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 また、ボカロ文化やニコニコ動画の文化に不慣れなSFファンには、ジェバンニPの代表作、通称『すすすす』を紹介しよう。このblogからでも再生できるが、ぜひニコニコ動画のアカウントを取得して、コメントでロールプレイする楽しさを体験していただきたい。
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 小倉秀夫氏のエッセイ『初音ミクを縛るのは誰?――ヴォーカロイドを巡る法律問題』はアシモフの架空論文のような味わいがあって、SFファンを驚かせたようだ。だがこれは初音ミクが発売されて以来4年間、毎日のように繰り返されてきた現実問題である。
 特集の枠外でも神林長平やピーター・ワッツの読み切り短編は、VOCALOIDの周辺問題に共鳴していて面白い。ただし少々難解で、予備知識を要するかもしれない。私は二、三度読み返すことになった。SF作家の私がそうなのだから、活字SFを読み慣れない方は理解できなかったからといってへこむことはない。
 また、金子隆一氏の連載エッセイでは進化論のセンスで初音ミク現象を語っている。こちらは抜群にわかりやすく、わくわくさせる内容だ。


予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

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