野尻抱介blog

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Usurper of the Sun ――進水直後、MESSENGER探査機によって撃沈

Usurper of the Sun (Novel)

Usurper of the Sun (Novel)

 掲題の本、『太陽の簒奪者』の北米版がViz Media、Haikasoruレーベルから発売されたのを今朝方知った。そのウェブサイトにはFriends in high placesというblogエントリがあって、MESSENGER探査機による水星のクローズアップ写真が貼られていた。
 『太陽の簒奪者』の読者ならご存知のとおり、水星はマリナー10号以来、30年あまりにわたって接近探査が行われてこなかった。それが去年、NASAのMESSENGER探査機がフライバイ(側方通過)し、詳細な観測に成功した。もちろん水星でナノマシンによる工事が行われている様子など写っていなかった。この探査機は軌道変更能力の限界から、水星を周回してはいない。水星に近い軌道で太陽を公転しながら、何度が水星のそばをフライバイするだけだ。(10/3 修正)この探査機は何度か水星のそばをフライバイしたのち、水星周回軌道に入る。その最終フライバイが、見事 Usurper of the Sun の発売に重なったのだった。

 そのblogはさらにナショナル・ジオグラフィックのblogエントリhttp://blogs.nationalgeographic.com/blogs/news/breakingorbit/2009/09/final-mercury-flyby-earths-mes.htmlにリンクしている。一部引用してみよう。

 私にとってMESSENGER探査機の成果は、科学と小説の軍拡競争の一例となった。私は日本のSF小説『太陽の簒奪者』の翻訳を途中まで読んだところだ。この本は女子高生が、太陽面通過中の水星に塔ができているのを観測するところから始まり――(中略)――この話は水星の向こう側にとんでもないものができていることなど誰も知らないことにかかっている。刊行されたのはMESSENGER探査機打ち上げの2年前だ。その時点ではエイリアンのナノマシンが我々の鼻先で工事しているという設定はもっともらしいものだった。

 blogはそのあと『火星年代記』とマリナー探査機、異形の生物が跳梁していた金星観の変移などに触れる。そして『月は無慈悲な夜の女王』がこのたびの水資源発見でもっともらしさを増したことを指摘して締めくくっている。これはSFにとって幸運な例だが、私の本ではない。

 北米版はいわゆる「超訳」だと聞いている。あの愛敬のないヒロインはいくらか魅力を増しているだろうか? 寺田克也氏による表紙イラストは二次元Codecの異なる北米の読者にも魅力的に映ると思うのだが。
 私は翻訳に何も口出ししなかったが、一度だけ問い合わせに答えた。物語は2006年の水星太陽面通過で始まっているが、これを未来に移動させるべきか、ということだった。私の回答は以下の通り。

 『太陽の簒奪者』の年代については、(1)変更する、でいいと思います。本筋は異星人との出会いであって、これはいつ起きてもいい性質のものですから、暦にはこだわりません。
 冒頭の水星の太陽面通過は現実の予報にあわせていますが、時刻までは同じでなく、物語に都合のいい時間帯に変えています。
 参考までに、次に水星の太陽面通過が起きるのは2016年5月9日、11月に起きるものだと2019年11月11日です。ただしどちらも、その時日本は夜なので観測できません。日付をいじるなら「月」「日」「時」はそのままにして、「年」を変えるのがいいと思います。他の部分においても、「年」以外は変えないほうが無難です。年が変わっても月日が同じなら太陽・地球・恒星の位置関係は同じですから。
 翻訳者は結局、2016年の現象が日本から観測できないことを重く見て、日付を変更しないことに決めたのだった。いずれにせよMESSENGER探査機に撃墜されるのは避けられなかったのだから、その判断でよかったと思う。
 そして私はこの探査機を恨むどころか感謝している。水星は一見地味だが、重金属に富み、金星と共鳴したトリッキーな軌道を持つなど、とても魅力的な惑星だ。その知識が増えるのは嬉しい。
 ただ、宇宙探査には遅延がつきものなのに、どうしてお前はあと二年ばかり遅れなかったのか、と思わないわけではない。
太陽の簒奪者 (ハヤカワJA)

太陽の簒奪者 (ハヤカワJA)